デジタル大辞泉 「三河衆」の意味・読み・例文・類語 みかわ‐しゅう〔みかは‐〕【三河衆】 1 戦国時代、徳川家創業に貢献した三河出身の譜代の臣。2 江戸時代、三河国に知行所をもち、参勤交代を行って大名に準じた家柄のもの。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「三河衆」の意味・読み・例文・類語 みかわ‐しゅうみかは‥【三河衆】 〘 名詞 〙① 徳川家康に仕え、徳川家の創業に功績のあった三河国出身の譜代武士。② 江戸時代、三河国に住み、一万石以下の領地を持ち、参勤交代を行なった大名に準じた家格のもの。松平太郎左衛門・中島与五郎の二家がこれにあたる。[初出の実例]「御譜代之列、松平御先祖御連枝之家々、那須家、美濃・信濃・三河衆」(出典:柳営秘鑑(1743)二(古事類苑・官位七八)) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「三河衆」の意味・わかりやすい解説 三河衆みかわしゅう 徳川氏家臣で、三河(愛知県東部)在住の武家の一部の呼称。徳川氏と武田氏の戦闘中の天正(てんしょう)年間(1573~92)、「三河衆、ふくろい迄(まで)陣よせ」(家忠(いえただ)日記)とある。徳川家の創業に貢献した三河在住の譜代(ふだい)家臣をいう。一般には、江戸幕府の交替寄合(こうたいよりあい)に属する特別の家柄の集団のうち、三河に知行所(ちぎょうしょ)をもつものをいう。松平、中島、米良(めら)の三氏がそれで、三河の知行所に常住し、参勤交代を行った。この松平氏は松平与五郎家で、代々徳川氏発祥の地である松平郷(豊田(とよた)市松平町)に居住した。[煎本増夫] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の三河衆の言及 【交代寄合】より …隔年か数年ごとに参勤交代をし,江戸城中では帝鑑間,柳間に席を占めた。表御礼衆20家(うち1家は1836年より新規),那須衆4家,美濃衆3家,信濃衆3家,三河衆2家に分かれ,ほかに2家があった。制度的起源はつまびらかではない。… ※「三河衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by