20世紀日本人名事典 「三浦綾子」の解説
三浦 綾子
ミウラ アヤコ
昭和・平成期の小説家
- 生年
- 大正11(1922)年4月25日
- 没年
- 平成11(1999)年10月12日
- 出生地
- 北海道旭川市
- 学歴〔年〕
- 旭川市立高女〔昭和14年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 朝日新聞1000万円懸賞小説1位入選〔昭和39年〕「氷点」,北海道新聞文化賞(社会文化賞 第48回)〔平成6年〕,井原西鶴賞(第1回)〔平成8年〕「銃口」,北海道文化賞〔平成8年〕,アジア・キリスト教文学賞(第1回)〔平成9年〕,北海道開発功労賞〔平成9年〕,キリスト教功労者〔平成11年〕
- 経歴
- 高等女学校卒業後、7年間小学校の教師を務め、昭和21年退職。この年肺結核となり、のち脊椎カリエスを併発して、13年間闘病生活を送る。この間、病床でキリスト教の洗礼を受ける。39年「氷点」が朝日新聞1000万円懸賞小説に当選し、12月から翌年11月にかけて「朝日新聞」紙上に連載された。以後作家生活に入り、「ひつじが丘」「積木の箱」「道ありき」「この土の器をも」「光あるうちに」「自我の構図」「天北原野」「細川ガラシヤ夫人」「塩狩峠」「銃口」などの作品を発表。「三浦綾子作品集」(全18巻 朝日新聞社)の他、全集や単行本に未収録の作品を集めた「雨はあした晴れるだろう」がある。57年直腸がんの手術を受け、3年後に再発。平成4年にはパーキンソン病を患い、入退院を繰り返した。晩年の作品はすべて口述したものを夫が執筆するという二人三脚で創作活動を続けた。10年6月旭川市に三浦綾子記念文学館が開館、11年同市和寒町に塩狩峠記念館が開館。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報