三谷三九郎(読み)みたにさんくろう

改訂新版 世界大百科事典 「三谷三九郎」の意味・わかりやすい解説

三谷三九郎 (みたにさんくろう)

江戸で明暦年間(1655-58)以前から続いた本両替商の名。とくに米沢,秋田,会津など東北諸藩への大名貸を行い,大坂鴻池と並び称された。米沢藩では三谷に禄高700石の待遇を与え,金融面だけでなく上杉鷹山(ようざん)の殖産興業政策に深くかかわり,蠟,青苧(あおそ),絹織物の一手販売まで行わせていた。会津藩でも天明寛政(1781-1801)の改革は三谷だけの資金調達で実施されており,1800年(寛政12)には藩の三谷からの借金は10万8000両に及んだという。江戸での三谷は寛政改革のさいの勘定所御用達となり,三貨の調節や公金貸付けなどに従事した。明治維新期には商法会所の元締頭取となって太政官札の貸付け,流通に力を尽くした。しかし明治初年に突如として破産した。基本的には大名貸金融の行詰りであろうが,一説には三井の商略にかかり,敗れたためともいわれている。
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関連語 四郎 松本

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三谷三九郎」の解説

三谷三九郎 みたに-さんくろう

江戸時代の豪商
明暦(1655-58)ごろからつづいた江戸の両替商三谷家の世襲名。米沢,会津(あいづ)などの東北諸藩に大名貸しおこない,大坂の鴻池(こうのいけ)家とならび称された。寛政の改革のときは幕府の勘定所御用達(ごようたし)頭取をつとめた。維新後陸軍省の官金をあつかっていたが,投機の失敗により明治8年破産(三谷三九郎事件)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三谷三九郎の言及

【御用達】より

…また幕府・諸藩は財政が困窮化するに伴い,しばしば彼らに御用金を課すなど財政的に依存することが多くなり,御用達のなかには幕府や諸藩の財政政策に深く関与する者も現れた。大名貸で活躍した大坂の鴻池善右衛門と江戸の三谷三九郎は,東西を代表する御用達と称された。寛政改革の際,江戸の豪商10名が幕府の勘定所御用達に登用されたが,彼らの財力と商業的手腕は以後の幕府経済政策に重要な役割を果たした。…

※「三谷三九郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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