三軒屋遺跡(読み)さんげんやいせき

日本歴史地名大系 「三軒屋遺跡」の解説

三軒屋遺跡
さんげんやいせき

[現在地名]中山町長崎 川端

最上川右岸、川左岸の自然堤防上に立地する古墳時代後期の集落遺跡一帯は今日でも物見台ものみだいと俗称されるように、小高い小さな丘状の微高地となっている。昭和四三年(一九六八)には出土遺物の様相から東北南半部における土師器第四型式(住社式)に並行する三軒屋式の型式設定を行われ、県内陸部の標式遺跡と位置づけられた。その後、東北横断自動車道仙台―酒田線にかかるために、遺跡の中央部分を主たる対象とした発掘調査が昭和五八年から同五九年にかけて計三次にわたって実施された。古墳時代の三十数棟に及ぶ竪穴住居跡群と遺跡を東西に二分する旧河道と考えられる大溝跡二条などが検出された。


三軒屋遺跡
さんげんやいせき

[現在地名]伊勢崎市上植木本町

伊勢崎市街地の東部、旧殖蓮うえはす(明治二二年成立)地区に位置する官衙遺跡。同地区は古代上野国郡の中心地であったと考えられており、地区の中心部にあたる伊勢崎市立殖蓮小学校の周辺一帯で、平成一五年(二〇〇三)から同一七年にかけて、公民館・学校プール・学校体育館の建設が計画され、事前の発掘調査が行われた。調査の結果、七世紀後半から一〇世紀前半までの間に造られた数多くの礎石建物・掘立柱建物が確認された。


三軒屋遺跡
さんげんやいせき

[現在地名]泉佐野市長滝

樫井かしい川東岸の標高二〇メートル前後の段丘上にある。東西八〇〇メートル・南北六〇〇メートルにわたる縄文時代から中世にかけての複合遺跡。昭和四六年(一九七一)以降発掘調査が続けられ、縄文時代の集石遺構、弥生時代の竪穴住居跡・土壙・溝状遺構、古墳時代以降の竪穴住居跡・掘立柱建物などが確認された。出土遺物としては縄文時代では後期・晩期に属する土器、土製耳飾・石器、弥生時代では壺棺甕棺など土器類、石斧・木器など、古墳時代以降では土師器・須恵器・木器などが検出された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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