新潟県北東端部,村上市の三面川上流の山間にあった集落。平氏の落人小池大炊介(おおいのすけ)なる人が開いたと伝承され,この家系が住民を支配して明治に至った。旧村上藩領であったが東方の峠を越えて米沢藩域との交流も多い。いずれの道も嶮峻で馬や牛の荷送りが困難なため,山中の秘境という感覚で他からはみられていた。主要な生業は狩猟,河川漁業,山菜採取などだが,水田も比較的多くそれに山畑を耕して自給生活を営んできたようである。狩猟は主としてアオ(カモシカ),熊を対象とし,狩人はまたぎの名で呼ばれ,秋田・新潟の狩人たちはその地をマタギの先進地として尊敬の念をもって考えていたようである。アオとりの際には長期の山小屋生活を営み,山中生活では山言葉を用いるほか種々の禁忌があって,スカリと呼ぶ厳しい指揮者の統制下に行動した。熊狩りでの禁忌はやや緩やかで春のゼンマイ採りも山小屋で行うが,この場合は女性も参加し禁忌はいっそう緩やかである。しかしゼンマイ採りの沢や山腹斜面は,共同の組によって採取時期が規制され乱採が戒められてきた。山の神の信仰は今も強く,サガミ様が鎮まるという相模山を見る場所では,みなこれを拝して山中のぶじを祈り,この山にすむという爪白の熊は姿を見ても射てはならぬと伝えている。また山崎伊豆守なる人物の伝えた〈狩の巻物〉と称する近世の書が伝えられてきた。集落は,奥三面ダムの建設が計画され水没予定地となったため,1985年村上市松山に集団移転した。
執筆者:千葉 徳爾
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