上乗院(読み)じようじよういん

日本歴史地名大系 「上乗院」の解説

上乗院
じようじよういん

南禅寺の北、永観えいかん(禅林寺)の西の南禅寺下河原なんぜんじしもかわら一帯にあった仁和寺脇門跡。下河原門跡とも称した。仁和寺五代性信(三条院第四子長和親王)の乳母左近少将源定季母が建立、定覚(定季の子駿河守国房息)が初代院主となったという(「仁和寺御室系譜」「仁和寺諸院家記」群書類従)。五代公賢(仁隆)が仁和寺北院に寄進し、以降仁和寺の子院となり、その後冷泉宮頼仁の息道乗、岩蔵宮の息益助、亀山院皇子益性(下河原宮)、乗朝(恒明親王息)などの宮僧正が入室(仁和寺諸院家記)。応永六年(一三九九)京都相国しようこく寺塔供養に衆僧として上乗院二品親王乗朝が参列している(「相国寺塔供養記」群書類従)


上乗院
じようじよういん

青蓮院の院家の一つで跡地は確定できない。「坊目誌」は花園天皇陵の北、小字上坊かみのぼうにあったといい、上之坊は上乗院の別号とする。永享二年(一四三〇)一一月六日には、青蓮院領粟田あわた荘を上乗院が領知すべき旨の室町幕府奉行人奉書(室町家御内書案)が発給されている。「華頂要略」は慶長年中(一五九六―一六一五)荒廃して院号は真正極楽しんしようごくらく(現京都市左京区)に伝わると記し、また「上之坊ノ池。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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