出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広義には、寺院の境内にあって本寺とは独立した本尊、伽藍(がらん)、経済を有し、院名をもつ寺坊をいう。平安時代に、皇族、貴族がここに住して門跡(もんぜき)を称すると、もっぱら門跡寺院をさすようになった。興福寺(こうふくじ)の大乗院(だいじょういん)、一乗院、醍醐寺(だいごじ)の三宝院(さんぼういん)などがその著名な例である。これらは本寺の座主(ざす)職などをも専断し、本寺にかわって寺院の主宰者となった。このため、門跡を補佐するものが成立し、以来、これを院家と称した。浄土真宗の本願寺が1559年(永禄2)に准(じゅん)門跡を勅許されたとき、翌年に本願寺一門の寺々のうちから8か寺が院家に列せられたのはその例である。
[大桑 斉]
…元来個人に与えられた一門衆身分は彼らの子孫へと受けつがれ,あたかも寺格を示すもののごとく固定化していった。一方,宗主の代替りごとに新たな庶子・親族団が形成され,11代顕如のとき院家(いんけ)の制が,12代教如・准如のとき連枝(れんし)の称が設けられた。そのため身分・役割両面で一門衆の独自の存在は意味を失うこととなった。…
… 1180年(治承4)平氏の南都焼討ちに遭い,東大寺とともに全焼したが,復興も速く,復興気運に乗って鎌倉文化が興隆,奈良の街地が発達するが,興福寺はこれに君臨,なお鎌倉将軍家から大和国守護職として国中支配を許された。おりから貴族の子弟がぞくぞく入寺し,その住坊は院家(いんげ)といい,とくに摂関家子弟の住持した一乗院(近衛流),大乗院(九条流)の両院家が門跡(もんぜき)を称し,興福寺を両分する大勢力となった。この両門跡がやがて対立,14世紀以降,その武力として用いた衆徒・国民らが自立成長を競い,大小名化をはかったこともあったが,南北朝動乱や戦国乱世も乗り越えた。…
…古代では,官寺の内に大寺,国分寺,定額寺があった。平安朝に門跡寺院が生ずると,宮門跡,摂家門跡,准門跡,脇門跡などの寺格が生じ,またそれらの下に院家,准院家などが成立した。これらは,国家,朝廷における序列であるが,中世には,鎌倉・室町両幕府が臨済宗寺院を五山,十刹,諸山,林下に区分したことから,諸宗派内部の序列・格式としての寺格が成立する。…
…住職という呼称は,今日では宗派を問わず多く用いられているが,歴史的にみると,寺院最高位の僧職の呼称は時代により宗派により,またそれぞれの寺院によって,さまざまの異称や尊称がある。南都系や平安仏教系寺院では寺主(じしゆ),維那(いな),院家(いんけ),隠元(いんげん),浄土真宗や日蓮宗(法華宗)や時宗では上人(しようにん),禅宗では方丈,和尚,住持,長老(ちようろう)などの,住職をさす尊称がそれである。また,由緒ある大寺院ではその寺固有の歴史的呼称もある。…
※「院家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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