日本歴史地名大系 「上古閑村」の解説 上古閑村うえのこがむら 熊本県:飽託郡北部町上古閑村[現在地名]北部町貢(みつぐ) 上古閑井芹(いせり)川右岸にあり、東の対岸は坂下(さかのした)村、南は釜尾(かまお)村、西は五町(ごちよう)村に接する。「国誌」の五町村の項に小村の一つとして記され、明和三年(一七六六)の下ケ名寄帳では五町村と村名が併記され、上古閑村は田畑六七町五反八畝余・高八三五石五斗余とあり、下ケ名に下(しも)ノ正(しよう)・秋鯰(あきなまず)・園木戸(そのきど)・感応(かんおう)・芝原(しばはら)・扇田(おうぎだ)・曲尾(まがりお)などがあった。同年の地引合帳によると、本方は一五町三反八畝余、高一八三石四斗余で、上知分として四町七反六畝余があった。 上古閑村うえこがむら 熊本県:菊池郡合志町上古閑村[現在地名]合志町福原(ふくはら)竹迫(たかば)町の南、御領(ごりよう)村の東に隣接する畑作地帯の村。寛永一〇年(一六三三)の人畜改帳によれば竹迫組に属し、もとは戸数七戸であったが、二戸が逃亡して五戸。家数四三、人数三二(うち庄屋一・百姓四・名子五・下人一)、牛馬一五、高三一八石九斗余。逃亡した二戸のうち一戸は、当村最高の三五石の高持百姓であった。その後竹迫手永に属した。宝永二年(一七〇五)・同六年の名寄帳によれば、五人の給人に分給されていた。 上古閑村うえこがむら 熊本県:鹿本郡植木町上古閑村[現在地名]植木町上古閑円台寺(えんだいじ)村の南、木留(きとめ)村の北にあり、那知(なち)川上流の山麓の小村。近世は正院手永に属する。寛永一五年(一六三八)の御給人御知行地撫帳によると、「先御帳面之前」(慶長一三年検地帳高と思われる)は高二〇一石六斗余、惣田畠畝数は二二町二反七畝余、「当算前」は一七町八反二畝余。 上古閑村かみこがむら 熊本県:宇土市上古閑村[現在地名]宇土市岩古曾(いわこそ)町東は佐野(さの)村、西は布古閑(ぬのこが)村、南は曾畑(そばた)村に接し、北は木原(きはら)山の山林に囲まれる。慶長国絵図に村名がみえ、近世は松山手永に属した。正保郷帳では田方三六二石四斗余・畠方七三石五斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by