日本歴史地名大系 「上山口村」の解説 上山口村かみやまぐちむら 兵庫県:西宮市上山口村[現在地名]西宮市山口町上山口一―四丁目・山口町上山口・山口町下山口(やまぐちちようしもやまぐち)四丁目・山口町金仙寺(やまぐちちようきんせんじ)・山口町阪神流通(やまぐちちようはんしんりゆうつう)センターすみれ・台(だい)一―三丁目・北六甲台(きたろつこうだい)四―五丁目下山口村の南にある有馬(ありま)郡の村。三田方面から有馬温泉(現神戸市北区)への街道沿いに集落を形成し、集落南端で船坂(ふなさか)村への金仙寺道が分岐する。中世の山口庄の遺称地。慶長国絵図に「上野山口村」とみえ、山口村(下山口村)などと一括して高付されている。正保郷帳では金善(金仙)寺村と合せて高七七一石余で、うち三九二石余は丹波福知山藩主有馬豊氏による増高(延宝九年「有馬郡村々明細書」関西学院大学蔵)。 上山口村かみやまぐちむら 神奈川県:三浦郡葉山町上山口村[現在地名]葉山町上山口東は大沢(おおさわ)川を隔てて木古庭(きこば)村、西は一色(いつしき)村・下山口(しもやまぐち)村、北は山を隔てて桜山(さくらやま)村(現逗子市)。中央を下山(しもやま)川が流れる山間の村。浦賀(うらが)道が東西に貫く。鎌倉時代初期の三浦義澄の子に山口次郎有綱(継)がおり(中興系図)、この地名を称したものと思われる。永享六年(一四三四)六月五日の沙弥聖喜(蘆名盛政)所領所職譲状写(県史三)に、不知行地として「相模国三浦郡葦名郷、同山口郷并鎌倉屋地」とある。 上山口村かみやまぐちむら 福島県:いわき市旧平市地区上山口村[現在地名]いわき市平上山口(たいらかみやまぐち)山口川流域にあり、北と西は下山口村、北東は下高久(しもたかく)村、東は神谷作(かみやさく)村。磐前(いわさき)郡に属した。近世は磐城平藩領。正保郷帳では上山口村とあり、田方四五六石余・畑方一五二石余とあるが、下山口村がみえず、その高を含んでいる。元禄郷帳では上山口村は高四三三石余、枝郷菅野(すがの)村は高一六九石余。天保郷帳には「古者 下山口村・菅野村弐ケ村」と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by