上河原町(読み)かみがわらまち

日本歴史地名大系 「上河原町」の解説

上河原町
かみがわらまち

[現在地名]宇都宮市大通おおどおり一―五丁目・駅前通えきまえどおり一―二丁目・一番町いちばんちよう

奥州街道筋南北に細長く平坦な町人町。北と東は川で区切られ、東の田川湾曲部に小袋こぶくろ町がある。町並南端から西へ奥州街道筋のおお町が折れ、町の南は押切おしきり町となる。上川原とも記される。弘安六年(一二八三)制定といわれる宇都宮弘安式条の「駒牽到来送夫事」に「上河原」とある。弘治二年(一五五六)二月二日の結城政勝充行状(多賀谷文書)では、「上かハらののセん十五貫文」が多賀谷新十郎に宛行われている。寛永一一年(一六三四)まで当町で開催されていた市が、奥州大名の参勤の道筋にあたるため、新宿しんじゆく町へ移されることになった。このため紛争が起こったが、毎年初めの初市は従来どおり当町で催されることで決着した(宇都宮故実抄)


上河原町
かみかわらまち

[現在地名]篠山市河原町 上河原町

篠山城の南東方、上立かみたつ町の南東、小川おがわ町の東に位置する。篠山城下一一ヵ町の一つ。史料上は西部下河原町と一括して扱われる場合が多い。城下の建設に伴って大川(篠山川)の流路を付替えて町域としたという。慶長一七年(一六一二)に「河原町に小家少々建」というので(「篠山城記」渋谷家文書)、町割はこれより早く行われたが、町家の普請町人の居住はなかなか進まなかった可能性がある。正保笹山城絵図(内閣文庫蔵)では下川原町とみえ、一町五〇間。また京海道とも記される。文禄二年(一五九三)の開創とされる浄土宗(現浄土宗西山深草派)真福しんぷく寺は、慶長一五年に八上やかみから移されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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