下今井村(読み)しもいまいむら

日本歴史地名大系 「下今井村」の解説

下今井村
しもいまいむら

[現在地名]江戸川区江戸川四―六丁目・東葛西ひがしかさい一丁目など

上今井村の南に位置し、東は江戸川を挟み下総国葛飾郡新井あらい(現千葉県市川市)、西は二之江にのえ村、南は長島ながしま村。中世葛西御厨のうちで、上今井とともに今井と称された。田園簿に村名がみえ、田九五石余・畑六石余、ほかに野銭永一三貫四五八文と舟役二艘分永二〇〇文が課せられている。文政一一年(一八二八)の助郷勤高は一六五石余で(「新宿町助郷高取調書上帳」宇田川家文書)新宿にいじゆく(現葛飾区)に出役した。江戸川沿いに町人勘兵衛が預かる新田があり、東宇喜田ひがしうきた村・西宇喜田村の堤外にも新田や持添新田があった。


下今井村
しもいまいむら

[現在地名]甲府市下今井町

上今井村の南にある。中世には今井のうち。天正二〇年(一五九二)二月一四日の加藤光政身延山末寺屋敷免許状(久遠寺文書)に「下今井」の浄光じようこう(常光)寺がみえ、遠光おんこう寺支配の同寺が寺地一一〇坪の坪銭を免除されている。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)によれば、田一〇町四反余・畑一〇町一反余、ほかに永不作田畑五町三反余。屋敷六筆・一千二二七坪、うち荒一一二坪。ほかに御免許屋敷として地蔵堂屋敷地一六二坪・身延末寺常光じようこう寺四〇〇坪の二筆があり、うち地蔵堂屋敷を含め三筆は明屋敷。


下今井村
しもいまいむら

[現在地名]飯山市大字常郷ときさと

千曲川・今井川間の丘陵、岡の峰おかのみねの南端に立地。上今井かみいまい村(現下水内しもみのち豊田とよた村)に対して下今井村という。谷筋たにすじ道に沿う村。大坪おおつぼ村との間に一里塚がある。

今井川(運上うんじよう川)上流関田せきだ峠道沿いに、寛永年間(一六二四―四四)まで北条きたじよう村に属しのち今井村内になった横川よこかわ組、同組中の天神原てんじんばら及び土橋どばし組の集落がある。千曲川岸には川面かわも組がある。

慶長一六年(一六一一)飯山城代堀丹後守直寄が下今井村庄屋源次郎に「慶長十六年いのとしまての荒地、其村百姓中永代令扶持候間、来春より彼芝地作どりニ可仕候」(丸山史料)と開発を命じたのが初見。


下今井村
しもいまいむら

[現在地名]若草町下今井

現若草町の北部、御勅使みだい川扇状地先端の平坦地に立地。東境を釜無川が南流。北は下今諏訪しもいますわ(現白根町)、北西部を戸田とだ街道が通る。天正一〇年(一五八二)一二月五日の徳川家印判状写(甲斐国古文書)に「下今井」とみえ、町田作之丞は徳川家よりもと飯野次郎兵衛の知行分であった同所の二貫七〇〇文ほかを安堵されている。慶長一一年(一六〇六)と推定される四月一四日の平岩親吉知行書立写(中巨摩郡志)によれば、小林助三郎が当地の一五石余を安堵されている。


下今井村
しもいまいむら

[現在地名]双葉町下今井

かやヶ岳南麓の丘陵地から釜無川左岸の氾濫原に位置する。初め坊沢ぼうざわ川とひがし川の間にあったが、近世初頭に丘陵地を開墾して移転、屋敷地の租税を免許されたという。今井の地名は多く、当村も隣村の名を冠して志田今井しだいまい村と称したが、のちに上今井村(現韮崎市)に対し、下今井村と称したと伝える(塩崎村誌)。慶長六年(一六〇一)検地(県立図書館蔵)には志田今井村とある。慶長古高帳では今井とあり、高三九六石余、幕府領、ほかに神明(神明神社)領一石余。貞享元年(一六八四)の検地帳(県立図書蔵館)によると高四四七石余、上田一町八反余・中田五町九反余・下田四町余・下々田一町余、上畑二反余・中畑五反余・下畑二反余・下々畑一三町余、屋敷一反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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