近衛府(読み)コノエフ

デジタル大辞泉 「近衛府」の意味・読み・例文・類語

このえ‐ふ〔コノヱ‐〕【衛府】

律令制官司の一。令外りょうげの官。天平神護元年(765)授刀衛近衛府と改称、さらに大同2年(807)近衛府左近衛府中衛府右近衛府とした。兵仗ひょうじょうを帯びて宮中を警護し、朝儀に参列して威儀をととのえ、行幸供奉した。四等官しとうかんのほか、府生ふしょう番長などの職員がいた。近衛。親衛羽林。このえづかさ。このえのつかさ。こんえふ。ちかきまもりのつかさ。

このえ‐づかさ〔コノヱ‐〕【府】

このえふ」に同じ。
「―にてこの君の出で給へるに」〈一二
近衛府の官人
「―、いとつきづきしき姿して、御輿みこしのことども行ふ」〈紫式部日記

このえ‐の‐つかさ〔コノヱ‐〕【府】

このえふ」に同じ。
「―いとつきづきしき姿して、ことども行ふ」〈栄花初花

こんえ‐ふ〔コンヱ‐〕【衛府】

このえふ(近衛府)

ちかきまもり‐の‐つかさ【近府】

このえふ(近衛府)

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精選版 日本国語大辞典 「近衛府」の意味・読み・例文・類語

このえ‐ふコノヱ‥【近衛府】

  1. 〘 名詞 〙 平安時代、六衛府の一つ。初め、天平神護元年(七六五)、授刀衛が近衛府と改称され、大同二年(八〇七)、近衛府を左近衛府と改め、中衛府を右近衛府と改めたもの。兵仗(ひょうじょう)を帯びて宮中を警固し、朝儀に列して威容をととのえ、また、行幸に供奉(ぐぶ)警備した武官の府。左右の府に、大将中将少将将監(しょうげん)将曹(しょうそう)、府生(ふしょう)などの官があった。親衛。羽林。このえづかさ。こんえふ。近衛。

このえ‐づかさコノヱ‥【近衛府】

  1. 〘 名詞 〙
  2. このえふ(近衛府)
    1. [初出の実例]「このゑづかさにさぶらひける翁、人人の祿たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける」(出典:伊勢物語(10C前)七六)
  3. 近衛府の官人。
    1. [初出の実例]「行幸にならぶものはなにかはあらん。〈略〉この衛つかさこそなほいとをかしけれ」(出典:枕草子(10C終)二二一)

こんえ‐づかさコンヱ‥【近衛府】

  1. 〘 名詞 〙このえふ(近衛府)
    1. [初出の実例]「こんゑづかさの、年に一つし出でたるをこそは、その日の物見にしたるめれ」(出典:狭衣物語(1069‐77頃か)三)

こんえ‐ふコンヱ‥【近衛府】

  1. 〘 名詞 〙このえふ(近衛府)色葉字類抄(1177‐81)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「近衛府」の意味・わかりやすい解説

近衛府
このえふ

日本古代の令外官(りょうげのかん)。奈良時代、759年(天平宝字3)に設置された授刀衛(じゅとうえい)がその前身で、765年(天平神護1)近衛府と改称され、中衛府(ちゅうえふ)・外(がい)衛府とともに、令制の五衛府(衛門府、左右衛士府(えじふ)、左右兵衛府(ひょうえふ))の上に位する最重要の衛府として、天皇近侍の任を担った。772年(宝亀3)に外衛府が廃止されたのち、平安時代初期の807年(大同2)、近衛府を左近衛府(さこのえふ)、中衛府を右近衛府(うこのえふ)と改称、左右衛門府・左右兵衛府と並ぶ、六衛府制の一環としての左右近衛府が成立した。大将、中将、少将以下の官人があり、近衛舎人(このえとねり)(創設時400人、延喜式(えんぎしき)制では左右各600人)を管轄した。大将の官位は従三位(じゅさんみ)で、最高位の武官として、多くは大臣・大納言(だいなごん)が兼帯した。また中将で蔵人頭(くろうどのとう)を帯する者を頭中将(とうのちゅうじょう)、参議で中将を兼帯する者を宰相(さいしょう)中将と称した。近衛府の職務は、宮城内の閤門(こうもん)(内門)の開閉、閤門内の警備、内裏(だいり)の宿衛、京中の巡検、行幸時の警固などであり、ことに平安初期には、政治的事件の鎮圧や、勅使などに幅広く活躍し、天皇側近の武官として重要な存在であった。しかし藤原氏を中心とする貴族政治の展開に伴って、大将、中将などの上級官人は貴族の栄誉職化し、下級官人や舎人の職務も、馬芸や楽舞などの末梢(まっしょう)的なものとなり、その多くが随身(ずいじん)として院や摂関家に奉仕するようになって、10世紀以降、近衛府の軍事・警察的機能は失われていった。

[笹山晴生]

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改訂新版 世界大百科事典 「近衛府」の意味・わかりやすい解説

近衛府 (このえふ)

日本古代の令外官。759年(天平宝字3)に設置された授刀衛がその前身で,765年(天平神護1),中衛・外衛両府とともに,令制五衛府の上に位する衛府として創設された。772年(宝亀3)の外衛府廃止後,807年(大同2),近衛府を左近衛府,中衛府を右近衛府に改編,六衛府制の一環としての左右近衛府が成立した。大将,中将,少将以下の官人があり,近衛舎人(とねり)(創設時400人,延喜式制で左右各600人)を管轄した。宮城内の閤門(内門)の開閉,閤門内の警備,内裏の宿衛,京中の巡検,行幸時の警固などを職務としたが,ことに平安初期には,政治的事件の鎮圧や,勅使として幅広く活躍し,天皇側近の武官として重要な存在であった。しかし10世紀以降,上級官人は貴族の栄誉職化し,下級官人や舎人の職務も馬芸や楽舞などの末梢的なものとなり,その多くが随身として院や摂関家に奉仕するようになって,衛府としての軍事・警察的機能は失われた。
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百科事典マイペディア 「近衛府」の意味・わかりやすい解説

近衛府【このえふ】

衛府の一つで,左右がある。皇居や行幸(ぎょうこう)の警備も担当した儀仗(ぎじょう)兵が所属。765年に授刀衛(じゅとうえい)を近衛府と改称。807年に近衛府を左近衛府(さこんえふ),中衛府(ちゅうえふ)を右近衛府(うこんえふ)と改称。左右とも長官は大将,次官は中将・少将,判官は将監(しょうげん),主典は将曹(しょうそう)。次官以上は有力貴族の子弟の出世コースであった。
→関連項目随身

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「近衛府」の解説

近衛府
このえふ

765年(天平神護元)授刀衛(じゅとうえい)を改編して成立した令外官(りょうげのかん)。807年(大同2)近衛府・中衛府をそれぞれ左近衛府・右近衛府に改称。構成は大将・中将・少将・将監(しょうげん)・将曹などで,近衛舎人(とねり)400人(のち600人)を統轄した。創設当初は天皇の親衛隊として,禁中の警衛などの軍事・警察的活動を主として行った。9世紀末~10世紀初めの儀礼体系の転換により軍事・警察的な任務は消失し,宮廷儀礼で馬芸・楽舞などを披露する儀礼演出機関として重要な役割を担った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近衛府」の意味・わかりやすい解説

近衛府
このえふ

律令制下における令外官の一つ。宮中の警固,行幸時の供奉にあたった。親衛の職として中衛,外衛,授刀衛などがおかれたが,天平神護1 (765) 年授刀衛が近衛府と改称され,大同2 (807) 年,左・右近衛府となった。従三位相当の大将をはじめ,中将,少将,将監,将曹などの官がおかれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「近衛府」の解説

近衛府
このえふ

天皇の側近く警護する令外官 (りようげのかん) 。六衛府の一つ
759年設置された授刀衛 (じゆとうえ) を765年改称したもの。807年近衛府を左近衛府とし,中衛府を右近衛府とした。長官は大将で,大納言または大臣が兼任した。

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世界大百科事典(旧版)内の近衛府の言及

【羽林家】より

…近衛中・少将を経て大・中納言,参議を昇りうる家。羽林とは,中国では漢代以来禁衛の称として用い,日本では近衛府の異称としたが,転じて近衛府を経て納言に至る家柄の称となった。この家格は平安時代末より漸次形成され,江戸時代にほぼ固定したが,時期により羽林家の数に出入りがある。…

【衛府】より

…ほかに行幸時の警固,京中夜間の巡邏,犯罪人の追捕等が衛府の職務とされた。奈良時代を通じて中衛府授刀衛外衛府などが新設され,765年(天平神護1)には授刀衛が近衛府と改称,従来の五衛府の上に近・中・外の3衛が置かれ,八衛府となった。これら3衛は,皇位継承をめぐる政界内部の抗争に対応して生まれたが,その兵力は地方豪族,下級官人層を基盤とする舎人であり,農民出身の衛士の逃亡・無力化に対応する意味をもになっていた。…

【授刀衛】より

…この後,764年の恵美押勝の乱に,授刀衛の官人は孝謙上皇方にあって活躍し,乱後上皇が重祚して称徳天皇となると,その官人は各衛府の重要な地位を占めた。翌765年(天平神護1),授刀衛は近衛府(このえふ)と改称され,諸衛府中最高の地位と権力とを有する存在となった。【笹山 晴生】。…

【幕府】より

… 本来幕府とは,中国で出征中の将軍の軍営をいい,戦陣に幕を張って軍営を設営したゆえである。日本では幕府は近衛府の唐名で,転じて近衛大将やその居館を意味した。1190年(建久1)源頼朝は右近衛大将に任ぜられ,やがて辞退したが,その居館を幕府,頼朝のことを幕下と呼ぶようになった。…

※「近衛府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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