下白岩村(読み)しもしらいわむら

日本歴史地名大系 「下白岩村」の解説

下白岩村
しもしらいわむら

[現在地名]中伊豆町下白岩

伊豆半島中部の天城あまぎ山北麓に位置し、狩野かの川支流の大見おおみ川右岸の河岸段丘上にある。北は田方郡年川としかわ(現修善寺町)。延宝四年(一六七六)には上下白岩村で高一千二三石余(「伊豆国中拾組高寄帳」石橋家文書)、まだ分村が認識されていなかったようである。元禄(一六八八―一七〇四)初年には下白岩村として高四九三石余となっており(元禄初年高帳)、同九年に検地が行われた(増訂豆州志稿)。江戸時代初期は幕府領、元禄一一年旗本天野・松平・大久保領となった。天野領分は天明五年(一七八五)段階では駿河沼津藩領、松平領分は文政八年(一八二五)段階では旗本中根(韮山町史)


下白岩村
しもしらいわむら

[現在地名]立山町下白岩

福田ふくた村の東、白岩川の中流左岸に位置。伝承では天正年間(一五七三―九二)池田いけだ城主の家臣高島九郎兵衛が分家して開村したという。東対岸は四谷尾しだにお村・谷口たにぐち村で、同じく対岸上流に下白岩村がある。正保郷帳では高五一石余、田方二町九反余・畑方五反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高七六石、免五ツ三歩、明暦二年(一六五六)の新田高四石。小物成は山役三〇匁・蝋役一匁(三箇国高物成帳)


下白岩村
しもしらいわむら

[現在地名]郡山市下白岩町

阿久津あくつ村の南、阿武隈川右岸の丘陵に立地。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「二段 百文 下白岩」とみえ、紀州熊野速玉はやたま社に年貢一〇〇文を納めていた。天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(同文書)には「一段 百文 下白岩」とある。近世初めは阿久津村に含まれていたが、いつの頃か分離したという(嘉永三年「村鑑書上帳」郡山市史)。延宝八年(一六八〇)の村高調(福島県史)に村名がみえ、高二七九石余、庄屋は佐々木氏。領主変遷村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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