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下関[市] しものせき

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百科事典マイペディアの解説

下関[市]【しものせき】

山口県西端の市。1889年赤間関(あかまがせき)市として市制,1902年改称。中心市街は古くは赤間関と称した関門海峡に臨む要港で,江戸中期からは内国海運の中継地として栄えた。
→関連項目ふく料理

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世界大百科事典 第2版の解説

しものせき【下関[市]】

山口県南西端の市。関門海峡をへだてて北九州市相対する海陸交通の要地。1889年市制。人口25万9795(1995)。当初,赤間関(あかまがせき)市と称し,県内最初の市であったが,1902年下関市と改称した。響(ひびき)灘沿岸の綾羅木(あやらぎ)川下流には弥生時代綾羅木郷遺跡前方後円墳仁馬山(じんばやま)古墳をはじめ多くの遺跡があり,古代条里制の遺構も残っている。長門国府は内海側の長府におかれ,中世にもここに長門警固所があった。

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世界大百科事典内の下関[市]の言及

【長府】より

…現在の山口県下関市大字豊浦町を中心とした地域の地名。〈長府〉の名は律令制の〈長門国府〉をちぢめた呼称で,中世後期から使用されたと思われる。…

【山口[県]】より

…弥生時代人骨を出土した土井ヶ浜遺跡,西日本最大級の弥生時代集落址として有名な綾羅木郷(あやらぎごう)遺跡の存在も,この地域の文化が先進的であったことを示している。《日本書紀》に見える仲哀天皇の穴門豊浦(あなととよら)宮は,大和朝廷による九州経略の基地となったところで,下関市長府の忌宮(いみのみや)神社境内がその故地と伝えられている。さらに古代の終焉を告げた源平最後の壇ノ浦合戦の舞台となったのも,下関市の関門海峡であった。…

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