下関[市](読み)しものせき

百科事典マイペディアの解説

下関[市]【しものせき】

山口県西端の市。1889年赤間関(あかまがせき)市として市制,1902年改称。中心市街は古くは赤間関と称した関門海峡に臨む要港で,江戸中期からは内国海運の中継地として栄えた。明治以後は九州や大陸とを結ぶ交通の中心地として発展した。しかし1942年関門鉄道トンネル,1958年国道トンネル完成から始まる一連の広域高速交通網の整備により,かつての交通拠点としての地理的優位性を失いつつある。山陽新幹線,山陽本線,山陰本線,中国自動車道,関門自動車道が通じ,下関港には国際フェリーターミナルがある。現在,新幹線新下関駅を中心に市街地整備,北浦沖合いの人工島建設が進められている。フグの水揚げは日本一をほこるが,主産業である水産業は不振。工業は彦島地区を中心に輸送用機器,食品,金属などがある。赤間石でつくる赤間硯は特産。先帝祭で知られる赤間神宮壇ノ浦,六連(むつれ)島の雲母玄武岩(天然記念物),火の山公園,高杉晋作の墓(史跡),川棚温泉などがある。2005年2月豊浦郡菊川町,豊田町,豊浦町,豊北町を編入。715.89km2。28万947人(2010)。
→関連項目ふく料理

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世界大百科事典 第2版の解説

しものせき【下関[市]】

山口県南西端の市。関門海峡をへだてて北九州市と相対する海陸交通の要地。1889年市制。人口25万9795(1995)。当初,赤間関(あかまがせき)市と称し,県内最初の市であったが,1902年下関市と改称した。響(ひびき)灘沿岸の綾羅木(あやらぎ)川下流には弥生時代綾羅木郷遺跡や前方後円墳仁馬山(じんばやま)古墳をはじめ多くの遺跡があり,古代条里制の遺構も残っている。長門国府は内海側の長府におかれ,中世にもここに長門警固所があった。

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世界大百科事典内の下関[市]の言及

【長府】より

…現在の山口県下関市大字豊浦町を中心とした地域の地名。〈長府〉の名は律令制の〈長門国府〉をちぢめた呼称で,中世後期から使用されたと思われる。…

【山口[県]】より

…弥生時代人骨を出土した土井ヶ浜遺跡,西日本最大級の弥生時代集落址として有名な綾羅木郷(あやらぎごう)遺跡の存在も,この地域の文化が先進的であったことを示している。《日本書紀》に見える仲哀天皇の穴門豊浦(あなととよら)宮は,大和朝廷による九州経略の基地となったところで,下関市長府の忌宮(いみのみや)神社境内がその故地と伝えられている。さらに古代の終焉を告げた源平最後の壇ノ浦合戦の舞台となったのも,下関市の関門海峡であった。…

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