日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊北」の意味・わかりやすい解説
豊北
ほうほく
山口県北西部、豊浦郡(とようらぐん)にあった旧町名(豊北町(ちょう))。現在は下関市の北西部を占める地域。南に名勝狗留孫(くるそん)山(616メートル)がそびえるが、大部分は丘陵地で、日本海に臨む北岸、西岸が入り江の多い沈水海岸となり、海士(あま)ヶ瀬戸を隔てて玄武岩台地の角(つの)島が浮かぶ。旧豊北町は、1955年(昭和30)滝部(たきべ)、田耕(たすき)、神玉(かみたま)、神田(かんだ)、角島、阿川(あがわ)、粟野(あわの)の7村と宇賀(うか)村の一部が合併して成立。2005年(平成17)下関市と合併。JR山陰本線と国道191号、435号が通じる。沿岸には粟野、阿川、島戸浦(しまどうら)、肥中(ひじゅう)、特牛(こっとい)、角島、矢玉(やたま)など小漁村が分布し、刺網や一本釣りが盛ん。内陸の丘陵地の間には滝部、田耕、北宇賀の小農村が散在し、養牛、養鶏農家が多い。土井ヶ浜遺跡(どいがはまいせき)(国の史跡)からは弥生(やよい)時代の人骨240体余を出土した。壁(かべ)島のウ渡来地、恩徳寺の結びイブキは国指定天然記念物。角島と本土側の海岸は北長門(きたながと)海岸国定公園となっている。
[三浦 肇]
『『豊北町史』(1972・豊北町)』▽『『豊北町史2』(1994・豊北町)』