1868年(慶応4)2月24日、柳河春三(やながわしゅんさん)が江戸で創刊した冊子型の新聞。外字新聞による外国事情の翻訳紹介とともに国内事情の報道にも力を入れた、日本人による最初の本格的新聞。売れ行きも当時の新聞のなかでは抜群だったため、従来の3、4日ごとの発行日のほかに、4月から『中外新聞外篇(がいへん)』23巻を出している。また5月彰義隊(しょうぎたい)の戦いに際しては『別段中外新聞』を発行しているが、これは新聞号外の元祖である。しかし官軍が江戸に入ると佐幕派新聞に厳しい許可制を敷いたので、6月8日第45号で廃刊した。翌69年(明治2)3月7日復刊したが、柳河が70年2月に亡くなると、同月、第41号で廃刊となった。
[春原昭彦]
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…しかし,DDX(デジタル通信網)化による家庭ファクシミリの普及は,新聞社や通信社からの新しいタイプの個別号外サービスが可能になることを示しており,faxcastingとかteletextという新語も生まれている。日本における最初の号外は,1868年(明治1)5月16日,上野の彰義隊の戦闘を伝えた《中外新聞》の〈別段新聞〉と呼ばれるものだった。〈大総督府より左の通り御内達ありしよし風聞の儘写し留む〉として,官軍の攻撃,湯島通りの出火,大雨の中の砲声を速報している。…
…開成所では職務として横浜の居留地新聞をはじめ各種の海外新聞の翻訳に従事し,かたわら同志と会訳社を結成して,筆写情報のセンターとしていた。戊辰戦争中の68年2月,会訳社の事業の延長として《中外新聞》を創刊する。京都の《太政官日誌》に1日遅れての発刊で,民間のものとしては日本最初の,日本人による新聞であった。…
※「中外新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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