中川三郎(読み)ナカガワ サブロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中川三郎」の解説

中川 三郎
ナカガワ サブロウ


職業
舞踊家

専門
モダンダンス,タップダンス

肩書
中川三郎スタジオ社長,劇場コーパ社長,全日本職業舞踊家協会会長

生年月日
大正5年 3月9日

出生地
大阪府

学歴
慶応義塾大学経済科〔昭和7年〕中退,ニューヨーク市立大学心理学科〔昭和10年〕卒

経歴
昭和5年日本歌劇の創始者である伊庭孝師事、15歳でその主宰する歌劇団で初舞台を踏む。7年単身渡米、ニューヨーク市立大学に学ぶ傍ら、ジョニー・マティスンにタップダンス、モダンダンスの手ほどきを受けた。8年日本人として初めてブロードウェイの劇場に出演、10年「詩人農夫」を踊り注目を集めた。11年帰国後、吉本興業の専属ダンサーを経て、13年帝劇の松竹楽劇団のソリストとなり、タップダンサーとして一時代を築く。28年には東京・大岡山に劇場コーパを建設。31年全日本職業舞踊家協会を設立。戦後いち早くジルバを普及させるなど社交ダンス大衆化に努めて“社交ダンスの父”と呼ばれ、ダンス界の第一人者として幅広く活躍した。著書に「ダンス元年」「現代マナー」「ビバ!フランキー」「踊らんかな!人生」など多数

所属団体
全日本職業舞踊家協会,スイス名門校留学協会

受賞
紺綬褒章〔昭和43年〕,藍綬褒章〔昭和60年〕 国際アカデミー大衆賞〔昭和40年〕,ギリシャナイト称号〔昭和41年〕,社会文化功労賞〔昭和63年〕

没年月日
平成15年 10月24日 (2003年)

家族
長男=中川 大輔(ネオ・ソシアル研究所所長)

伝記
中川三郎ダンスの軌跡―STEP STEP by STEPダンシング・オールライフ―中川三郎物語 乗越 たかお 著乗越 たかお 著(発行元 健友館集英社 ’99’96発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「中川三郎」の解説

中川 三郎
ナカガワ サブロウ

昭和・平成期の舞踊家 中川三郎スタジオ社長;劇場コーパ社長;全日本職業舞踊家協会会長。



生年
大正5(1916)年3月9日

没年
平成15(2003)年10月24日

出生地
大阪府

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済科〔昭和7年〕中退,ニューヨーク市立大学心理学科〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
国際アカデミー大衆賞〔昭和40年〕,ギリシャナイト称号〔昭和41年〕,紺綬褒章〔昭和43年〕,藍綬褒章〔昭和60年〕,社会文化功労賞〔昭和63年〕

経歴
昭和5年日本歌劇の創始者である伊庭孝に師事、15歳でその主宰する歌劇団で初舞台を踏む。7年単身渡米、ニューヨーク市立大学に学ぶ傍ら、ジョニー・マティスンにタップダンス、モダンダンスの手ほどきを受けた。8年日本人として初めてブロードウェイの劇場に出演、10年「詩人と農夫」を踊り注目を集めた。11年帰国後、吉本興業の専属ダンサーを経て、13年帝劇の松竹楽劇団のソリストとなり、タップダンサーとして一時代を築く。28年には東京・大岡山に劇場コーパを建設。31年全日本職業舞踊家協会を設立。戦後いち早くジルバを普及させるなど社交ダンスの大衆化に努めて“社交ダンスの父”と呼ばれ、ダンス界の第一人者として幅広く活躍した。著書に「ダンス元年」「現代のマナー」「ビバ!フランキー」「踊らんかな!人生」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川三郎」の解説

中川三郎 なかがわ-さぶろう

1916-2003 昭和-平成時代の舞踊家。
大正5年3月9日生まれ。伊庭(いば)孝に師事。昭和7年渡米,タップダンスをならい,翌年日本人初のブロードウェー出演をはたした。11年帰国後タップダンサーとして活躍,日本のアステアと評判になった。戦後,全国各地にダンススタジオを開設し,社交ダンスの普及につとめた。平成15年10月24日死去。87歳。大阪出身。ニューヨーク市立大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android