中村新太郎(読み)ナカムラ シンタロウ

20世紀日本人名事典 「中村新太郎」の解説

中村 新太郎
ナカムラ シンタロウ

明治〜昭和期の地質学者



生年
明治14(1881)年4月21日

没年
昭和16(1941)年12月8日

出生地
東京・下谷御徒町

学歴〔年〕
東京帝大理科大学地質学科〔明治39年〕卒

学位〔年〕
理学博士

経歴
明治39年広島師範学校講師、41年農商務省地質調査所技師、44年朝鮮総督府技師。大正8年京都帝大助教授、9〜11年英国などに留学。帰国後教授となり、新設の理学部地質学鉱物学教室で地史学講座担当。昭和16年定年退官、名誉教授常磐炭田、赤石山地などの地質構造解明に貢献した。15年には日本地質学会会長を務め、小川琢治と雑誌「地球」を創刊


中村 新太郎
ナカムラ シンタロウ

昭和期の児童文学作家,評論家



生年
明治43(1910)年9月27日

没年
昭和52(1977)年

出生地
茨城県北相馬郡小文間村(現・取手市)

別名
別名=日野 信夫

学歴〔年〕
茨城師範学校〔昭和5年〕卒

経歴
郷里での教師生活を経て、上京して出版社で働く。著書に短編小説集「村の風俗」「教育文学論」がある。戦後は日本共産党茨城県委員、県委員長などを務める。30年ごろから著述業に入って児童文学評論、伝記、歴史物語などで活躍。代表作に「天平の虹」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村新太郎」の意味・わかりやすい解説

中村新太郎
なかむらしんたろう
(1881―1941)

地質学者。東京に生まれる。1906年(明治39)東京帝国大学地質学科卒業後、広島高等師範学校講師、農商務省地質調査所技師、朝鮮総督府技師を経て1919年(大正8)新設の京都帝国大学地質学科助教授に就任、ただちにアメリカ、イギリス、フランス、イタリアに留学、1922年教授に昇任した。徹底した野外調査教育で学生を指導し、幾多の優れた専門家を養成した。常磐(じょうばん)炭田、平壌炭田の報告は模範的調査と仰がれ、内外文献にも通じ、厳密な批判検討で知られ、大正~昭和前期の地質学界の進歩に大いに貢献した。

[石山 洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村新太郎」の解説

中村新太郎 なかむら-しんたろう

1881-1941 明治-昭和時代前期の地質学者。
明治14年4月21日生まれ。地質調査所技師などをへて欧米留学後,大正11年京都帝大教授。常磐(じょうばん)炭田などの地質調査をおこなう。日本地質学会会長をつとめた。昭和16年12月8日死去。61歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中村新太郎」の解説

中村 新太郎 (なかむら しんたろう)

生年月日:1881年4月21日
明治時代-昭和時代の地質学者。京都帝国大学教授
1941年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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