中江城跡(読み)なかえじようあと

日本歴史地名大系 「中江城跡」の解説

中江城跡
なかえじようあと

[現在地名]窪川町土居

土居どいの中江山上にある。仁井田五人衆の一人西原氏の居城跡。城跡は上下二段に分れ、両段とも広さは五〇アールほど。下段は細長い台形で、東側のみに土塁が残る。上段には北を除いて三方に土塁がある。

西原氏の出自は紀伊国日高ひだか(現和歌山県御坊市)と伝え、本姓は菅原氏であるが藤原氏を称していた。一五世紀から一六世紀にかけて荒谷あらたに(西原村)西原さいばら城に拠り、仁井田五人衆の一に数えられるまでになったが、天文一四年(一五四五)頃一条氏の東方進攻によりその幕下となり、一条氏の所領東境に置かれた八番頭の一人として新在家しんざいけ番頭を勤めた(仁井田郷談「南路志」所収)


中江城跡
なかえじようあと

[現在地名]桑名市福島

福島ふくじまの北部、小字中江にあったと思われる。築城年代は不明であるが、長島一向一揆勢の五大要砦の一つであり、織田信長の長島攻撃の際に最後まで耐えた。「信長公記」によれば天正二年(一五七四)の長島攻撃の時に「七月十三日に、嶋中の男女貴賤其数を知らず。長島又は屋長嶋・中江三ケ所へ逃入り候。既に三ケ月相抱へ候間、過半餓死仕候」とあり、さらに九月二九日には「中江城・屋長嶋の城両城にこれある男女二万ばかり幾重も尺を付け取籠め置かせられ候、四方より火を付け」られて、全員が焼死させられて落城した。城主は森小一郎(五鈴遺響)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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