デジタル大辞泉
「中田喜直」の意味・読み・例文・類語
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中田 喜直
ナカダ ヨシナオ
昭和・平成期の作曲家 日本童謡協会会長;フェリス女学院大学名誉教授。
- 生年
- 大正12(1923)年8月1日
- 没年
- 平成12(2000)年5月3日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 東京音楽学校ピアノ科〔昭和18年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 音コン作曲室内楽曲部門第2位〔昭和24年〕,毎日音楽賞〔昭和24年〕,日本レコード大賞(童謡賞)〔昭和35年・37年〕,芸術祭賞奨励賞〔昭和38年〕「美しい訣れの朝」,芸術祭賞優秀賞〔昭和46年・53年〕,日本童謡賞(功労賞)〔昭和46年〕,日本童謡賞〔昭和50年〕,紫綬褒章〔昭和61年〕,サトウハチロー賞(第1回)〔平成1年〕,NHK放送文化賞(第46回 平6年度)〔平成7年〕
- 経歴
- 昭和21年から作曲家集団・新声会に所属、デビュー歌曲集「六つの子供の歌」で注目される。詩人のサトウハチローとのコンビで「かわいいかくれんぼ」「ちいさい秋みつけた」などを作曲、他の作詞家とも組み「めだかの学校」「あひるの行列」など1000曲以上の童謡を生み出す。30年磯部俶、大中恩らとろばの会を結成し、新しい芸術的な子供のうたを作る運動を行なう。同会はモービル児童文化賞を受賞。NHK「おかあさんといっしょ」などの作曲も担当。その他歌曲や合唱曲の分野に個性的でポピュラリティに富んだ美しい作品を多く書いた。代表作に「夏の思い出」「雪の降るまちを」など。また日本童謡協会の設立に関わり、のち会長に就任。雑誌「どうよう」を創刊する一方、59年同会が7月1日を“童謡の日”と定め、「日本の童謡二百選」を編むなど童謡の振興に努めた。39年〜平成5年フェリス女学院短期大学教授を務めた。手の小さい日本人向きに幅狭のけん盤ピアノの普及に尽力。禁煙活動家としても有名だった。10年作曲家生活50周年記念の“コンサーT”を開催。「中田喜直歌曲集」「中田喜直合唱曲集」、エッセイ集に「音楽と人生」、共著に「嫌煙の時代」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
中田喜直
なかだよしなお
[生]1923.8.1. 東京,東京
[没]2000.5.3. 東京,新宿
作曲家。『早春賦』で知られる作曲家中田章を父に,幼少から音楽に親しんだ。1943年東京音楽学校ピアノ科を卒業。1946年に作曲家グループ新生会に属して本格的に創作活動を開始し,デビュー歌曲集『六つの子供の歌』(1947)で注目された。一方,童謡の作曲にも精力的に取り組み,詩人のサトウ・ハチローとのコンビで『かわいいかくれんぼ』『ちいさい秋みつけた』などを生み,ほかに『めだかの学校』『あひるの行列』など多くの童謡を世に送り出した。1979年に日本童謡協会会長に就任すると童謡の振興に努めた。また,色彩に富んだハーモニーの『夏の思い出』『雪の降るまちを』など数々の名曲を手がけ,教育者としても長年フェリス女学院大学教授を務めた。手の小さい日本人向けに幅の狭い鍵盤のピアノの普及をはかった。1986年紫綬褒章,1995年日本放送協会放送文化賞を受けた。
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中田喜直【なかだよしなお】
作曲家。東京都生れ。本名喜直(よしただ)。東京音楽学校(現,東京芸術大学)ピアノ科に入るが,太平洋戦争開戦に伴い,1942年に繰り上げ卒業した。1951年に《かわいいかくれんぼ》(作詞サトウ・ハチロー)の作曲に携わり,本格的な童謡の作曲活動に入る。日本童謡協会の2代目会長,フェリス女学院大学教授などを務め,同大学名誉教授。抒情味(じょじょうみ)あふれた歌曲・童謡などの作曲に優れ,代表作として叙情歌曲《夏の思い出》《雪の降るまちを》,童謡《めだかの学校》《ちいさい秋みつけた》などがある。
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中田喜直
なかだよしなお
(1923―2000)
作曲家。東京生まれ。1943年(昭和18)東京音楽学校ピアノ科卒業。46年(昭和21)に「新声会」のメンバーになり、本格的な作曲活動を開始した。歌曲、合唱曲、童謡などで日本語を生かした親しみやすいメロディを多く生み、新しい日本の歌の創造に努め、またピアノ曲にも優れた作品が多い。ピアノの鍵盤(けんばん)の幅を狭くすることで、ピアノ教育の改革を提唱。主要作品に『ピアノ・ソナタ』、ピアノ組曲『光と影』、歌曲『六つの子供の歌』『雪の降る町を』『夏の想(おも)い出』、童謡『めだかの学校』『小さい秋みつけた』などがある。
[船山 隆]
『中田喜直著『随筆集 音楽と人生』(1994・音楽之友社)』
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中田喜直 なかだ-よしなお
1923-2000 昭和後期-平成時代の作曲家。
大正12年8月1日生まれ。豊増昇らに師事。昭和22年歌曲集「六つの子供の歌」を発表。24年「ピアノ・ソナタ」が日本音楽コンクール2位となる。30年大中恩(めぐみ)らとろばの会を結成,童謡をふくむあたらしい歌曲,合唱曲の創造をめざし,「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などを作曲。39年フェリス女学院短大教授。平成12年5月3日死去。76歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。
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中田 喜直
東京生まれ。音楽家の父・中田章(《早春賦》の作曲家)のもと、幼少よりピアノや作曲に親しむ。東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科卒業後、本格的な作曲活動へ。49年、入野義朗、柴田南雄らが結成した「新声会」 ...続き
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
中田 喜直 (なかだ よしなお)
生年月日:1923年8月1日
昭和時代;平成時代の作曲家。日本童謡協会会長;フェリス女学院短期大学教授
2000年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の中田喜直の言及
【童謡】より
…しかし,子どもの流行歌としての〈レコード童謡〉の量産がその質の低下をもたらし,戦後再び子どもの歌の運動が起きた。〈赤い鳥〉の流れをくむ詩人サトウハチロー(1903‐73)や新進作曲家団伊玖磨(1924‐ ),芥川也寸志(1925‐89),中田喜直(1923‐ )らによるもので,NHKのラジオ番組〈歌のおばさん〉を媒介とし,ここから《めだかの学校》《ぞうさん》など,簡単な旋律でありながら,芸術味のある歌が誕生した。ついで中田喜直,磯部俶(1917‐ )らによる〈ろばの会〉が結成され,彼らは〈レコード童謡〉のイメージから脱皮すべく童謡の名称を用いず,〈こどものうた〉とよんだ。…
※「中田喜直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」