中野義照(読み)ナカノ ギショウ

20世紀日本人名事典 「中野義照」の解説

中野 義照
ナカノ ギショウ

大正・昭和期の仏教学者 元・高野山大学学長。



生年
明治24(1891)年10月5日

没年
昭和52(1977)年1月31日

出生地
愛媛県今治市

学歴〔年〕
東京帝大文学部哲学科〔大正10年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和27年〕

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和38年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和41年〕

経歴
明治35年得度。東大大学院で高楠順次郎インド哲学を学んだ。昭和4年高野山大学教授、4年後中国に渡り、天津日本図書館長、中国文教学院教授、北京大学文学院教授などを歴任。戦後21年高野山大学に復帰、26、39年の2回同大学長、33年から同大密教文化研究所兼任。インド学、仏教学、特にインド法の権威。高野山真言宗宿老、大僧正著書に「ヤージュニャヴァルキヤ法典」、「マヌ法典」訳注、「インド法の研究」、ウィンターニッツ「インド文献史」訳注、「密教の倫理観」など。また高楠順次郎監修「大正新修大蔵経」の校合に従事

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中野義照」の意味・わかりやすい解説

中野義照
なかのぎしょう
(1891―1977)

インド哲学者、仏教学者。文学博士。愛媛県今治(いまばり)市に生まれた。1921年(大正10)東京帝国大学文学部卒業。九州帝国大学講師、中国天津(てんしん)日本図書館長、同北京(ペキン)大学文学院教授を経て、高野山(こうやさん)大学教授、同文学部長、同学長、密教文化研究所長、日本学術会議会員などを歴任した。紫綬(しじゅ)褒章、勲三等旭日中綬(きょくじつちゅうじゅ)章などを受章。インド法制史の権威で、『インド文献史』6冊の訳注など著書約30冊がある。

宮坂宥勝 2016年9月16日]

『M・ヴィンテルニッツ著、中野義照訳『インド文献史』全6巻(1964~1978・日本印度学会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野義照」の解説

中野義照 なかの-ぎしょう

1891-1977 大正-昭和時代の僧,仏教学者。
明治24年10月5日生まれ。真言宗。11歳で得度する。高楠(たかくす)順次郎にインド哲学をまなぶ。昭和4年高野山大教授となり,のち北京大教授。27年高野山大学長。高野山真言宗宿老。大僧正。昭和52年1月31日死去。85歳。愛媛県出身。東京帝大卒。旧姓白石著作に「密教の倫理観」「インド法の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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