朝日日本歴史人物事典 「久我通光」の解説
久我通光
生年:文治3(1187)
鎌倉前中期の公卿。後鳥羽院の近臣。村上源氏の久我(土御門)内大臣通親の3男。母は藤原範兼の娘,従三位範子。母が後鳥羽上皇の乳母で在子(のちの承明門院)の母でもあったため,順調に出世,異母兄の通具を越えて村上源氏の嫡流を継ぐ。僅か8歳で侍従となり,元久1(1204)年権中納言,のちに権大納言,右大将を経て承久1(1219)年内大臣となる。しかし承久の乱(1221)で譴責を受けて数年間籠居,のちに姪に当たる源通子を母とする後嵯峨上皇のもとで,寛元4(1246)年太政大臣・従一位にのぼった。琵琶に優れたことが『文机談』をはじめ諸書にみえ,歌人としても知られている。
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報