久米城跡(読み)くめじようあと

日本歴史地名大系 「久米城跡」の解説

久米城跡
くめじようあと

[現在地名]多良木町久米 今山田

古城こじよう集落の東手の平地よりの比高六〇メートルの山にある中世城跡。久米城・覚井かくい古城という呼称が残る。山頂部分は瓢箪形の平坦地となり、その周囲の山稜斜面などには数条の堀切が見られ、天然の地形を利用した要害堅固な城である。山頂部分からは、かつて石臼が出土したという。現在は久米公園となっていて、山頂からの眺望は正面に相良頼景館さがらよりかげやかた跡など上球磨の平野部を一望できる。城主は「豊富五百丁」の地頭である久米三良と伝えられる。しかし「求麻外史」に「頼氏四子、長六郎頼宗、小字牛房丸、嗣、至頼宗并食久米村」とあり、多良木の上相良氏が在城したとも考えられる。


久米城跡
くめじようあと

[現在地名]金砂郷村久米

県道和田わだ上河合かみかわい(水戸―八溝道)の東側に突出した、標高六〇余メートルの通称久米山の頂上竜神平りゆうじんだいらとよばれる地にある。「水府志料」に「古館 字竜神平といふ地にあり。又根小屋坪といふあり。里俗の説に小貫式部大輔といふ人の居所也。其後北左衛門是に居る」とみえ、また「常陸国北郡里程間数之記」に「久米城主小野崎筑前守通実入道代無嗣子孫小貫修理太夫養子として是ヲ小貫民部と云、後筑前と名乗本要害ハ焼して小屋ニ居城時永正十四年義治御子三男三郎讃岐守義武義信久米村被取爰より芦間河内赤須兵庫小貫式部三人同城ニ住居す」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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