久米幹文(読み)くめもとふみ

精選版 日本国語大辞典 「久米幹文」の意味・読み・例文・類語

くめ‐もとふみ【久米幹文】

  1. 幕末・明治初期の国学者。本姓石河。通称幸三郎。号は水屋桑園常陸水戸の人。本居内遠師事し、徳川斉昭に用いられる。維新後、皇太神宮権禰宜(ごんのねぎ)。東京大学講師、第一高等中学校教授を歴任。文政一一~明治二七年(一八二八‐九四

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改訂新版 世界大百科事典 「久米幹文」の意味・わかりやすい解説

久米幹文 (くめもとふみ)
生没年:1828-94(文政11-明治27)

江戸末期から明治初頭の歌人,国学者。常陸国水戸の生れ。水廼舎(みずのや),水屋等と号した。初め本居内遠の門に入り,のち平田鉄胤に学んだ。東京大学講師,第一高等中学校教授などを歴任した。本居豊頴(とよかい),小杉榲邨(すぎむら)とともに,1886年に設立された保守系の歌文学会大八洲(おおやしま)学会〉の会主となり,古典派歌人として重きをなした。歌集に《水屋集》,著書に《大八洲史》等がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久米幹文」の意味・わかりやすい解説

久米幹文
くめもとぶみ

[生]文政11(1828).11.20. 水戸
[没]1894.11.10. 東京
国学者。通称は幸三郎,字は公斐,水屋または桑園と号す。本居内遠の門下。徳川斉昭の知遇を受けたが,彼の没後忌諱に触れることがあって幽閉された。明治5 (1872) 年教務省に召され諸社の宮司を歴任,1874年,皇太神宮権禰宜となり,権少教正を兼ね,神道思想の普及に努めた。 82年東京大学講師,次いで第一高等学校教授として国文国史を講じた。著書に『大八洲史』『水屋集』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久米幹文」の解説

久米幹文 くめ-もとぶみ

1828-1894 幕末-明治時代の国学者。
文政11年10月20日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。平田篤胤(あつたね),本居内遠(もとおり-うちとお)に師事。藩主徳川斉昭(なりあき)につかえ,斉昭没後は維新まで幽閉される。のち諸社の宮司をへて一高教授。能書家,歌人として知られた。明治27年11月10日死去。67歳。本姓は石河。通称は孝三郎。号は水屋,桑園。歌集に「水屋集」,著作に「大八洲史」など。

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