日本歴史地名大系 「亀岡村」の解説
亀岡村
かめおかむら
東は尾島村・
亀岡村
かめおかむら
山地南端に飯坂蔵人左衛門の館跡と称する所があり、永正一三年(一五一六)六月一八日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)によると、「下飯坂方より買地、屋代之庄文殊寺の内丹波在家一宇」などが山岸長門守に安堵されている。天文七年(一五三八)の段銭古帳では「もんしゆ寺」の段銭は二九貫四二〇文、うち二貫一〇〇文は中館への引分となっている。同二二年の晴宗公采地下賜録によると、「文珠寺のうち、こはし八郎ゑもんつくり」が宮崎修理に、「文しゆ寺之内、かハより西五百かり」が浜田宮内少輔に、「文しゆ寺の内、川より西きり田五百かり」が浜田与四郎に与えられている。
亀岡村
かめおかむら
亀岡村
かめおかむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報