二ッ岳
ふたつだけ
伊香保町の南西部にあり、那須火山帯に属する榛名山系の支峰をなす。雄岳(一三四三メートル)と雌岳(一三〇六・二メートル)の二峰からなり山名もこれに由来する。雄岳頂上はさらに南北二つの小峰に分れる。南峰は巨岩を積重ねたような隆峰で、頂に小石宮と石灯籠があり南方の眺望がよい。北峰はやや高く石宮と剣状の石碑があり二ッ岳大神を祀る。県立榛名公園に含まれ植生はミズナラ、ダケカンバ、シナノキなどを交えた落葉樹林が主。
近世、当山麓から相馬山麓にかけては周辺諸村の入会秣場であったが、寛文七年(一六六七)にその帰属を巡り地続きの伊香保村と下野田村(現吉岡村)など桃井領一三ヵ村の間で相論となり、翌八年の裁許では桃井領一三ヵ村が山元村々とされ、新たに伊香保村とほかに石原村(現渋川市)など四ヵ村の入会が認められた(「山論裁許絵図裏書」登坂文書)。この裁許により相論は一応の決着をみたが、雌岳南麓の岩場から湯気の噴出する所があり、これを蒸湯として使用できることから、今度は温泉稼・小屋掛けの権利を巡りその後も相論が繰返された。弘化四年(一八四七)の蒸湯開発目論見帳(森田文書)には「寛文之度及出入候節茂穴蒸と唱へ、病苦難渋之者共、厳窟之間ニ彳ミ蒸湯治致来、功能宜故数年来聞伝へ、多人数入込候」とみえ、すでに寛文年中の入会紛争の頃には穴蒸といって病人らが多数利用していたとされていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の二ッ岳の言及
【榛名山】より
…南麓の室田,宮沢付近は,カルデラ形成時に流出した軽石流が厚く堆積し広い台地をなしている。山体東部にある二ッ岳(1345m)は旧火山体上に噴出した溶岩円頂丘で,最も新しい火山活動によるものである。二ッ岳の噴火は記録にはないが,このとき噴出した軽石火山灰が山麓の古墳群をおおっていることから,5世紀末から6世紀初めにかけてと推定されている。…
※「二ッ岳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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