日本歴史地名大系 「二上山城跡」の解説 二上山城跡にじようざんじようあと 大阪府:南河内郡太子町山田村二上山城跡[現在地名]太子町山田、奈良県北葛城郡當麻町加守・染野二上山の雄(お)岳(五一七メートル)山頂一帯にある。東西一七〇メートルの西高東低の二段からなる長大な郭で、二ノ丸に相当する下段東端に伝大津皇子二上山墓、本丸に相当する郭の東部に葛木二上(かつらぎにじよう)神社がある。下段の南側に三段、東側に五段の帯郭があり、本丸の西側にも帯郭、空堀、土塁、七段の帯郭がある。南に続く雌(め)岳山上も城郭であったといわれ、雄岳北麓の穴虫(あなむし)峠、雌岳南方の岩屋(いわや)峠・竹内(たけのうち)峠を掌握できる位置にあった。 二上山城跡ふたがみやまじようあと 鳥取県:岩美郡岩美町岩常村二上山城跡[現在地名]岩美町岩常岩常(いわつね)集落の南西、二上山(三四六メートル)にある城跡。遺構から南北朝時代に構築されたものと推定される。文和年間(一三五二―五六)山名時氏が築城したと伝え(因幡志)、もとは「岩経之城」と称された(天正八年と推定される六月一九日「羽柴秀吉書状」利生護国寺文書)。頂上付近の一の平(いちのなる)が本丸に相当する。東西五〇メートル・南北二九メートル余の扇形を呈した帯曲輪の遺構が残り、一部に石垣の遺構も検出される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by