五智院(読み)ごちいん

日本歴史地名大系 「五智院」の解説

五智院
ごちいん

[現在地名]小千谷市下タ町

信濃川の左岸深地の岨しんちのはばの深地城跡の曲輪内にある。真言宗智山派、竜久山と号し、本尊阿弥陀如来。慶雲四年(七〇七)泰澄が信濃川の対岸ひう村の内の山寺やまでらに建立したと伝える。その後境内に七堂伽藍をはじめ一八坊の塔頭と一〇〇ヵ寺に及ぶ末寺を擁する大寺として発展したが、永享一〇年(一四三八)堂宇ことごとく焼失。永禄七年(一五六四)に現在地に再建された。山寺所在当時、五智院専属の御用鍛冶がおり、寺の移動とともに移って小千谷村鍛冶業の元祖となったと伝える。


五智院
ごちいん

[現在地名]高野町高野山

現在桜池ようち院の南、道を隔てたところにあるが、江戸時代には西南さいなん院の東隣にあった。本尊は阿弥陀如来。開基五智房融源は肥前出身で、覚鑁親族という(諸院家析負輯・続風土記)。文明五年(一四七三)の諸院家帳は、高野山六三代検校覚胤理淵房を開祖のように記すが、「続風土記」は覚胤を中興とみなす。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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