ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五月法」の意味・わかりやすい解説 五月法ごがつほうMaigesetze 1873年5月 11~14日にかけてプロシアの邦議会を通過し,ビスマルクの「文化闘争」の原因となった諸法律。第1の法律は聖職者の任用資格に関するもので,哲学,歴史,ドイツ文学の3学科について「文化試験」に合格していなければならないと定め,カトリックの若い司祭を教皇至上主義から引離そうとはかっている。第2,3の法律は教会の司法権を制限するもの,第4の法律は教会からの市民の脱退を自由にし,出生,死亡,結婚などの戸籍事務を国家に移譲するものであった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
旺文社世界史事典 三訂版 「五月法」の解説 五月法ごがつほうMaigesetze 1873〜75年の各5月に,ドイツのカトリック教徒との文化闘争でビスマルクが強行した法令1873年には僧侶に国家の定める試験を課し,僧侶の任命・監督権を国家が掌握することを規定した。1874・75年にもあいついで反抗的僧侶の国外追放,出生・結婚・死亡の登記を政府の手に移すことなどが強行された。しかし,ビスマルクとローマ教皇との妥協により,1880年までに大部分が廃止された。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報 Sponserd by