コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

井上友一 いのうえ ともかず

4件 の用語解説(井上友一の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上友一 いのうえ-ともかず

1871-1919 明治-大正時代の官僚。
明治4年4月10日生まれ。26年内務省にはいり,地方改良運動と感化救済事業を推進。大正4年東京府知事となり,7年の米騒動の際,公設廉売市場や簡易食堂を開設した。大正8年6月12日死去。49歳。加賀(石川県)出身。帝国大学卒。名は「ともいち」ともよむ。著作に「救済制度要義」「自治要義」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

井上友一

没年:大正8.6.12(1919)
生年:明治4.4.10(1871.5.28)
明治大正時代地方行政を専門とした内務官僚。金沢藩士井上盛重の長男。号は明府。第四高等中学校を終え,明治26(1893)年帝大法科大学を成績抜群で卒業。同年内務省県治局勤務。33年フランスのパリでの万国公私救済慈恵事業会議に出席。38年報徳会創設に参加。41年神社局長,42年法学博士の学位取得。大正4(1915)年明治神宮造営局長を兼任,同年7月東京府知事に就任した。慈善協会を設立し,救済委員制度などの社会福祉事業に尽くした。<著作>『都市行政及法制』<参考文献>近江匡男編『井上明府遺稿』

(木野主計)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

いのうえともいち【井上友一】

1871‐1919(明治4‐大正8)
明治・大正期の内務官僚。法学博士。金沢藩士の家に生まれ,四高,東京帝大法科卒業後内務省に入る。主に県治局,地方局に勤務し地方行政に取り組む。1900年公私救済事業万国会議に出席のためにパリに出張し,各地の救済事業を視察した。06年内務書記官,08年神社局長となる。日露戦争後は内務省による地方諸団体の指導監督と町村財政強化を目指した地方改良運動を推進し,改良事業講習会などを通じ町村の中堅人物育成にも努めた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上友一
いのうえともいち
(1871―1919)

救済・社会事業行政に貢献した内務官僚。法学博士。石川県金沢市生まれる。東京大学法科卒業後、内務省に入り、主として地方行政を担当。1900年(明治33)にパリで開催された万国公私救済事業会議に出席、各国の救済事業を視察した。地方改良の諸事業、感化救済事業講習会の開催など、社会事業行政への内務省における推進役として働いた。神社局長などを経て、1915年(大正4)に東京府知事となった。当時の社会問題の激化、1917年風水害、とくに1918年の米騒動にあたっては公設市場、簡易食堂、日用品の廉売など経済保護事業を促進した。開明的な官僚であったが、公的救助義務主義に終始反対する立場をとった。主著『救済制度要義』は名著として知られる。[小倉襄二]
『『戦前期社会事業基本文献集19 救済制度要義』(1995・日本図書センター)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

井上友一の関連キーワード伊東徹太江藤哲蔵大脇正諄尾崎良胤久保田与四郎世良太一野添宗三松井源水(16代)松村鬼史三好愛吉

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone