京房(読み)きょうぼう(その他表記)Jīng Fáng

改訂新版 世界大百科事典 「京房」の意味・わかりやすい解説

京房 (きょうぼう)
Jīng Fáng
生没年:前77-前37

中国,漢代の易学者,音楽理論家。〈けいぼう〉とも読む。頓丘(河南省清豊の西南)の人。字は君明,本姓李,号は易京。易を梁の焦延寿に学び,延寿と同じく孟氏易と称したが,孟喜の直弟子には認められなかった。天文や気候の異変により災厄を予言し,元帝の信頼を得て魏郡太守となったが,讒言ざんげん)により獄死した。音律を好み音色を知り,十二律研究。それまでの管による十二律算定法の不合理を悟り,延寿の律説を拡充して弦による音律測定器を考案,準と名づけた。三分損益法による定律法では,第13律が第1律の黄鐘(おうしよう)のオクターブより上方にずれる(西洋のピタゴラスコンマ(24セント)と同じ)ことを実証し,この誤差を縮小するために三分損益をくり返して第60律まで求め,各律に名称を与えた。60の律は五行思想に基づき,12ヵ月と5方の60節に配されている。京房の試みでは,第54~60律は,第1~7律に対して約3.6セントの微差になり,田辺尚雄はこれを〈京氏コンマ〉と名づけた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「京房」の意味・わかりやすい解説

京房
けいぼう
(前78―前37)

中国、前漢の思想家、易学者。頓丘(とんきゅう)の人。字(あざな)は君明。姓は李(り)、のち京に改める。焦延寿(しょうえんじゅ)に易を学んで、災異を占うことにたけ、数か月から1年前に予言し、それがしばしば的中した。元(げん)帝に仕え、魏(ぎ)郡太守に進んだが、讒言(ざんげん)にあって刑死。その易学は、分卦直日(ぶんかちょくじつ)(六日七分)、一二消息卦を主として災異(政治が悪いときに、その反映として起こる異常現象)をいうのを特色とする。現存の『京氏易伝』は積算法を主とするから、京房の説であるかどうか疑わしい。

[藤原高男 2016年1月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「京房」の意味・わかりやすい解説

京房
きょうぼう
Jing Fang

中国前漢末の元帝の頃の音楽理論家。字は君明,号は易京。梁の焦延寿に仕え,音律を研究。それまでの律管による十二律の算定法を改良して,新たに弦による音律測定器,準を発明,それによって六十律を算定した。

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世界大百科事典(旧版)内の京房の言及

【易学】より

…それは64卦を1年の暦に配当し,ある卦はある季節,月,日を支配するから政治もその卦の示すイメージに沿って行っていかねばならない,とするものであった。このような易学は孟喜や京房によって唱えられたが,その底を流れるものは当時流行の天人相関説で,そこでは《易》は天と人事とをつなぐ媒介としてとらえられている。後漢の荀爽(じゆんそう)や三国呉の虞翻(ぐはん)になると,卦爻(かこう)にさまざまな操作を施して卦と経文の関係を合理化しようとした。…

【京房】より

…60の律は五行思想に基づき,12ヵ月と5方の60節に配されている。京房の試みでは,第54~60律は,第1~7律に対して約3.6セントの微差になり,田辺尚雄はこれを〈京氏コンマ〉と名づけた。【三谷 陽子】。…

【箏】より

…12弦の箏は清楽(せいがく)(俗楽の一種)に用いられた。13弦の箏は前漢の理論家京房(きようぼう)が楽律の実験用に作った13弦の準(じゆん)に基づくとする説がある。三国時代,晋時代は12弦箏が一般的で,胴の長さは古尺の6尺(150cm),柱の高さは3寸(7.6cm)であった。…

※「京房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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