明治〜昭和期の音楽学者,音楽評論家 東洋音楽学会名誉会長;武蔵野音楽大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
日本音楽・東洋音楽の研究家。本岡竜雄の次男として東京に生まれ,11歳のとき田辺貞吉の養子となる。東京大学および同大学院で音響学を専攻するかたわら,東京音楽学校選科でバイオリンを学び,また,フランス人ノエル・ペリに和声法と作曲法を師事する。1907年に田中正平の邦楽研究所に入り,長唄,うた沢,謡曲,舞踊を習得,14年ごろから薗兼明,大原重朝,大原重明に雅楽や歌披講を学ぶ。それより早く,1908年からは日本および中国の楽律の研究に従事し,以後,正倉院楽器や朝鮮李朝の雅楽,台湾,中国本土各地,沖縄諸島,樺太,太平洋の島々などの音楽を実地に調査した。その間,東洋音楽学校(現,東京音楽大学)を振出しに,東京大学や東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)など多くの学校で音響学,音楽史,音楽理論などの講義を担当,23年には国学院大学教授,49年には武蔵野音楽大学教授となり,また1937年に東洋音楽学会が設立されるとともに会長に就任し,それぞれの場で多くの研究者や演奏家の教育,指導を行った。一方,作曲や新楽器〈玲琴(れいきん)〉の考案などにより,新日本音楽運動にも参加した。これらの功績によって,1929年に帝国学士院賞,57年に紫綬褒章を受け,81年には文化功労者に選ばれた。著書は《最近科学上より見たる音楽の原理》《日本音楽講話》《日本音楽史》《田辺尚雄自叙伝 正・続》ほか多数。
執筆者:蒲生 郷昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日本音楽、東洋音楽の研究者。東京生まれ。東京帝国大学および同大学院で物理学、音響学を専攻する一方、東京音楽学校選科ほかでバイオリン、和声法など、さらに1907年(明治40)大学院在学中に田中正平(しょうへい)の邦楽研究所に入り、長唄(ながうた)、舞踊などを修得する。翌年から日本、中国の音律研究に従事し、20年(大正9)以降、正倉院および宮中の楽器調査研究、ならびに朝鮮、中国、台湾などの音楽調査を行う。とくに朝鮮李朝(りちょう)の雅楽存続に関する業績は大きい。東京帝国大学などで教鞭(きょうべん)をとる一方、36年(昭和11)に東洋音楽学会を設立するなど、東洋音楽の研究に大きな足跡を残した。81年(昭和56)文化功労者。著書に『日本音楽講話』『日本音楽史』『田辺尚雄自叙伝』など多数ある。
[柴田典子]
『『田辺尚雄自叙伝』正続(1981、82・邦楽社)』▽『『日本音楽講話』(講談社学術文庫)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…これに対して近世邦楽や民謡などにおける音階または旋法の種類を表す用語としては,〈陰旋(法)〉〈陽旋(法)〉という対語も生まれ,これを〈陰音階〉〈陽音階〉あるいは〈都節音階〉〈田舎節音階〉などという(上原六四郎)場合もある。さらに,田辺尚雄などは,音階と旋法とを区別して,これらの用語を使い分けることもあった。田辺は,陰音階による陰旋法基本形をミファラシド,陽音階による陽旋法基本形をレミソラシとした。…
…これらの算法では律管の音響学的性質から音律に多少の誤差が生ずる。そこで田辺尚雄は音響学理論に基づく管口補正を行ったうえで十二律の管長を算出し,中村清二は同じく朱載堉の12等分平均律の管長を算出した。しかし中国では歴代尺度の制が異なるので,十二律の絶対音高は時代によって相違する。…
※「田辺尚雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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