田辺尚雄(読み)タナベヒサオ

デジタル大辞泉 「田辺尚雄」の意味・読み・例文・類語

たなべ‐ひさお〔‐ひさを〕【田辺尚雄】

[1883~1984]音楽学者。東京の生まれ。東洋音楽学会初代会長。武蔵野音大教授。日本および東洋音楽の科学的研究の先駆者で、正倉院楽器調査などに従事。学士院賞受賞。昭和56年(1981)文化功労者著作に「日本音楽史」「東洋音楽史」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「田辺尚雄」の解説

田辺 尚雄
タナベ ヒサオ

明治〜昭和期の音楽学者,音楽評論家 東洋音楽学会名誉会長;武蔵野音楽大学名誉教授。



生年
明治16(1883)年8月16日

没年
昭和59(1984)年3月5日

出生地
東京府四谷区(現・東京都新宿区)

旧姓(旧名)
本岡

別名
筆名=田辺 禎一

学歴〔年〕
東京帝大理科大学理論物理学科〔明治40年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔昭和4年〕「東洋音楽の研究」,紫綬褒章〔昭和32年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和40年〕,勲三等瑞宝章〔昭和49年〕,文化功労者〔昭和56年〕

経歴
明治から昭和にかけての日本、東洋音楽研究の第一人者。東大大学院音響学、音響心理学などを学ぶ傍ら田中正平邦楽研究所に入り、邦楽・邦舞実技を習得した。東洋音楽学校、東京盲学校、宮内省楽部雅楽練習所各講師などを経て、大正12年国学院大学教授。傍ら、9年より正倉院や宮中の楽器の調査、アジア各国における音楽調査、朝鮮李朝の雅楽の存続活動などに従事。昭和2年成和音楽会の創立に参加、新日本音楽興隆に努めた。11年東洋音楽学会を創立、長い間会長を務める一方、戦後は武蔵野音楽大学、東京学芸大学などの教壇に立った。56年文化功労者。著書に「西洋音楽講話」「日本音楽講話」「東洋音楽の研究」「東洋音楽史」「日本の音楽」「音楽音響学」「三味線音楽史」「日本の楽器」、「田辺尚雄自伝」など多数ある。58年東洋音楽研究を対象に田辺尚雄賞が創設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「田辺尚雄」の意味・わかりやすい解説

田辺尚雄 (たなべひさお)
生没年:1883-1984(明治16-昭和59)

日本音楽・東洋音楽の研究家。本岡竜雄の次男として東京に生まれ,11歳のとき田辺貞吉の養子となる。東京大学および同大学院で音響学を専攻するかたわら,東京音楽学校選科でバイオリンを学び,また,フランス人ノエル・ペリに和声法と作曲法を師事する。1907年に田中正平の邦楽研究所に入り,長唄,うた沢,謡曲,舞踊を習得,14年ごろから薗兼明大原重朝大原重明に雅楽や歌披講を学ぶ。それより早く,1908年からは日本および中国の楽律の研究に従事し,以後,正倉院楽器や朝鮮李朝の雅楽,台湾,中国本土各地,沖縄諸島,樺太,太平洋の島々などの音楽を実地に調査した。その間,東洋音楽学校(現,東京音楽大学)を振出しに,東京大学や東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)など多くの学校で音響学,音楽史,音楽理論などの講義を担当,23年には国学院大学教授,49年には武蔵野音楽大学教授となり,また1937年に東洋音楽学会が設立されるとともに会長に就任し,それぞれの場で多くの研究者や演奏家の教育,指導を行った。一方,作曲や新楽器〈玲琴(れいきん)〉の考案などにより,新日本音楽運動にも参加した。これらの功績によって,1929年に帝国学士院賞,57年に紫綬褒章を受け,81年には文化功労者に選ばれた。著書は《最近科学上より見たる音楽の原理》《日本音楽講話》《日本音楽史》《田辺尚雄自叙伝 正・続》ほか多数。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田辺尚雄」の意味・わかりやすい解説

田辺尚雄
たなべひさお

[生]1883.8.16. 東京
[没]1984.3.5. 東京
音楽学者。日本をはじめ東洋の音楽研究の先駆者。 1907年東京大学物理学科卒業,大学院では音響学を専攻し,音響心理学,生理学をも修めた。一方実技の面でも東京音楽学校選科でバイオリンを,N.ペリから和声学と作曲法を,田中正平邦楽研究所ほかで長唄,謡曲,雅楽の管弦や舞などの日本音楽を習得。調査研究では,21年の朝鮮をはじめとして中国,台湾,南洋群島各地に現地調査を行い,その研究と紹介に努めた。一方 27年には宮城道雄らと成和音楽会を組織し,新日本音楽の発展に尽力。帝国学士院賞受賞 (1929) 。東洋音楽学会会長をはじめ,多数研究団体の会長,顧問として楽界の指導的地位にあった。著書『日本音楽講話』 (19) ,『第一音楽紀行』 (23) ,『東洋音楽論』 (29) ,『近世日本音楽集』 (31) ,『日本俗曲集』 (32) ,『日本音楽概説』 (40) ,『日本音楽史』 (63) ,『三味線音楽史』 (63) ,『日本の楽器』 (64) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田辺尚雄」の意味・わかりやすい解説

田辺尚雄
たなべひさお
(1883―1984)

日本音楽、東洋音楽の研究者。東京生まれ。東京帝国大学および同大学院で物理学、音響学を専攻する一方、東京音楽学校選科ほかでバイオリン、和声法など、さらに1907年(明治40)大学院在学中に田中正平(しょうへい)の邦楽研究所に入り、長唄(ながうた)、舞踊などを修得する。翌年から日本、中国の音律研究に従事し、20年(大正9)以降、正倉院および宮中の楽器調査研究、ならびに朝鮮、中国、台湾などの音楽調査を行う。とくに朝鮮李朝(りちょう)の雅楽存続に関する業績は大きい。東京帝国大学などで教鞭(きょうべん)をとる一方、36年(昭和11)に東洋音楽学会を設立するなど、東洋音楽の研究に大きな足跡を残した。81年(昭和56)文化功労者。著書に『日本音楽講話』『日本音楽史』『田辺尚雄自叙伝』など多数ある。

[柴田典子]

『『田辺尚雄自叙伝』正続(1981、82・邦楽社)』『『日本音楽講話』(講談社学術文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺尚雄」の解説

田辺尚雄 たなべ-ひさお

1883-1984 大正-昭和時代の音楽学者。
明治16年8月16日生まれ。正倉院や宮中の楽器を調査。中国,台湾,沖縄などの音楽を実地調査し,朝鮮王朝の宮廷音楽保存に尽力した。昭和4年学士院賞。11年東洋音楽学会を設立し会長。戦後,武蔵野音大教授。56年文化功労者。昭和59年3月5日死去。100歳。東京出身。東京帝大卒。旧姓は本岡。著作に「日本音楽講話」「東洋音楽史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田辺尚雄」の解説

田辺 尚雄 (たなべ ひさお)

生年月日:1883年8月16日
明治時代-昭和時代の音楽学者;音楽評論家。東洋音楽学会会長
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田辺尚雄の言及

【音階】より

…これに対して近世邦楽や民謡などにおける音階または旋法の種類を表す用語としては,〈陰旋(法)〉〈陽旋(法)〉という対語も生まれ,これを〈陰音階〉〈陽音階〉あるいは〈都節音階〉〈田舎節音階〉などという(上原六四郎)場合もある。さらに,田辺尚雄などは,音階と旋法とを区別して,これらの用語を使い分けることもあった。田辺は,陰音階による陰旋法基本形をミファラシド,陽音階による陽旋法基本形をレミソラシとした。…

【十二律】より

…これらの算法では律管の音響学的性質から音律に多少の誤差が生ずる。そこで田辺尚雄は音響学理論に基づく管口補正を行ったうえで十二律の管長を算出し,中村清二は同じく朱載堉の12等分平均律の管長を算出した。しかし中国では歴代尺度の制が異なるので,十二律の絶対音高は時代によって相違する。…

※「田辺尚雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android