人間性心理学(読み)にんげんせいしんりがく(その他表記)humanistic psychology

最新 心理学事典 「人間性心理学」の解説

にんげんせいしんりがく
人間性心理学
humanistic psychology

人間の本質,存在,生成,成熟,人格,関係性などを中心的な関心事として研究目標とする心理学をいう。現実に生きている人間を全体的にとらえ,生涯を通じての生き方や経験への問いかけと,それらに対する内面的・行動的応答をも探究する。

 20世紀の前半におけるアメリカの心理学界では,二つの学派が主流とみなされてきた。行動主義心理学と精神分析学である。このどちらも,自然科学をモデルとしての,非人格的な過程を重視する人間観に支配され,片方は,行動主義の機械論的信念の,他方は古典的精神分析の生物学的還元論と決定論の虜となっていた。そこでは,自覚的・主体的存在としての人間の価値観や意図,さらに人生の意味を研究する可能性は認められていなかった。

 人間性心理学は,このような当時の主流学派に対する批判とそれらに代わる立場として生まれた。人間の行動の細部や異常な面にこだわらず,健康で成熟した人格の性質の考察に向かった。ロジャーズRogers,C.R.(1957)は,精神分析の指示的療法を批判して,個人の内面や自発性が促進される非指示的療法non-directive psychotherapy,のちの人間中心療法person-centered therapyを創始し,個人の自由な選択と決定,また成熟への可能性を最大に発揮しつつ生きる自己実現self-actualizationを提唱した。マズローMaslow,A.H.(1954,1962)も,個人が「完全な人間」に向かって真実を求め,善意をもって行動する際,低次の生理的欲求や安全や所属と愛情の欲求を満たす行動の水準を超えて,尊重と承認の欲求,さらに高次の「自己実現」の欲求を達成する行動が動機づけられるという欲求階層説need-hierarchy theoryを唱えた。また,人生の中で最もすばらしい幸福と充実の瞬間を至高体験peak experienceとよび,人がそれを実感したときの特徴を,調査結果に基づいて具体的に示した。

 このマズローと,ムスタカスMoustakas,C.の提案によって,1958年に二つの会合がデトロイトで開催された。集まったのは,ヒューマニスティックな観点をめざす専門家の学会創設に関心をもつ心理学者たちで,いくつかのテーマについて討議を重ねた。それらは自己概念,自己実現,創造性,人間の生成becoming,個性などで,その結果は一つの連動となった。それまでの主流心理学のうちの第1勢力(行動主義心理学)と第2勢力(精神分析学)に対抗する第3の勢力となり,1961年にアメリカ人間性心理学会the American Association for Humanistic Psychology(AHP)の公式発足となった。そして同じ年に,最初の学会誌『Journal of Humanistic Psychology』が刊行された。

 1964年には,最初の招待者を含む拡大会議が催され,その中には,オルポートAllport,G.W.,ブーゲンタルBugental,J.F.T.,ビューラーBuhler,C.,マレイMurray,H.,ロジャーズ,マズロー,ムスタカス,メイMay,R.らがいた。彼らは,その後何十年もの間,この運動の推進に,多大の貢献を重ねた指導者でありつづけた。

 上記の招待参加者の一人であったオルポート(1962)は,当時の行動主義心理学や実証的方法は,人間を「反応する存在」と見る立場を取っていると述べ,その特徴として,使っている専門用語に“re”を接頭語にもつ複合語が多いことを,たとえば,reaction,response,reinforcement,reflexなどを挙げた。精神分析・精神力学psychodynamicsにも同様にrepression,regression,resistance,reaction formationなどがある。これに対して,人間性心理学の立場では,接頭語に“pro-”を付与した用語が多く,それは未来を志向しているとして,たとえば,progress,program,production,propriumなどがあることを指摘した。これらのうち,propriumは固有我的機能と訳されている。

 1961年のアメリカ人間性心理学会の設立と,その後の一連の可能性開発・人間性教育・小集団(エンカウンター・グループ)運動は,日本にあって,それまでの実験心理学の方向や手法,とくに統計的数量化などに偏っていた傾向に飽きたらない思いを抱いていた研究者に大きな影響を及ぼした。

 過去30年間の人間性心理学会で行なわれた研究発表とシンポジウム,学会誌に掲載された研究論文のテーマは,多岐多様であるが,人間性の本質,全体像,感情世界のイメージ,自己(覚知・概念・開発・実現など),出会い(エンカウンター),別離,死生観,超越体験などのほか,毎年の大会で連続して行なわれている方法論セミナーでは,「精神分析とゲシュタルト療法との対話」「クオリティオブライフ(Q.O.L.)の意味」「フォーカシングと体験過程」「コミュニティ・アプローチ」,さらに人間性の「光と影」「悪と善」をめぐっては,アメリカにおけるメイ(1982)のロジャーズへの公開書簡「悪の問題」やフリードマンFreedman,M.(1984)の発言も検討された。最近の動向としては,ポジティブ心理学とコーチング心理学などが,人間性心理学の原理や方法を継承し補完するものとして,日本の感情,人格,対人関係,健康,文化などの分野の研究者と実践者の関心をよんでいる。 →ポジティブ心理学
星野 命〕

出典 最新 心理学事典最新 心理学事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「人間性心理学」の意味・わかりやすい解説

人間性心理学
にんげんせいしんりがく
humanistic psychology

アメリカを中心とした現代心理学の三つの潮流のうち、第一の行動主義・論理実証主義、第二の精神分析・力動的心理学の二つの流れに対して批判的また相補的な第三の潮流を意味する。人間学的心理学または人間主義心理学と訳す場合もあるが、原語のままヒューマニスティック心理学とよんでも通用する。

 この心理学においては、人間を、環境条件や他者による刺激に操作され反応させられる機械や受動体としてのみみることをしない。また、人間を、個人が統制できない無意識の力に支配されている非合理的存在としてのみみることもしない。この心理学においては、人間を全体としてみる、つまり人間をいろいろな素質や本能や特性に還元してしまわずに、それらが一つの人格的主体に統合され、自覚と自由意志とをもち、個性・独自性を発揮しつつ前進する存在とみなす。

[星野 命]

七つの特質

村山正治(しょうじ)があげているところを参考にしてまとめると、強調点は七つある。(1)人間を全体として研究する(部分に還元しない)。(2)外側からみた行動でなく、直接の体験、つまり私的な現象世界・場を重視する。(3)研究者はその相手の世界・場から離れたところにたつのでなく、そこに関与しつつ直観的・共感的理解に努める。(4)個人の独自性に注目し、個性記述的アプローチ(法則定立的アプローチとは別)をとる。(5)過去の生育史や、環境条件の決定因よりも、現在および将来の、目標・価値・希望を重視する。(6)選択・創造・意味・自己実現といった人間独自の性質を強調する。(7)人間行動の反応面・順応面・病理面を過度に強調せず、逆に自発的・前進的に行動し、病理からは回復し健康を求めるような積極面を強調する。

[星野 命]

具体化した分野

人間性心理学が具体的に展開した分野は、カウンセリング、心理治療、人間の成長を目ざす教育、看護者訓練、組織開発などであるが、もっとも顕著で重要な分野は、エンカウンター・グループ運動である。これはカリフォルニアを発祥地として、アメリカ東部・中西部、そしてヨーロッパ、中南米、アジアに急速に拡大、日本でもかなり普及した。また画期的なできごととして、アメリカの心理学者マズローAbraham Maslow(1908―70)の呼びかけに応じた研究者により、1962年に「アメリカ・ヒューマニスティック学会」ができたことで、日本では82年(昭和57)に、それまで「グループによる集中的体験学習」(通称「グループ・アプローチ」)などに結集していた人々を中心に「日本人間性心理学会」が設立され、83年から毎年1回、大会が開かれている(2002年に第20回大会開催)。また、研究誌『人間性心理学研究』も発刊され、2002年には第20巻1号が刊行されている。各巻には、巻頭言・投稿論文のほかに、毎年開催される大会のシンポジウムの内容や特集論文、書評などが組み込まれている。

 日本における人間性心理学の流れは、アメリカに特徴的な楽観的な自己実現論や人間の尊厳と自由についての強調にとどまらず、人間性の否定的側面や葛藤(かっとう)や運命の受容(受苦)、さらに東洋の視点に立つ宇宙内存在、文明内存在、「場」的存在としての人間へと理念と関心を広げている。

 アメリカにおいても、マズローは晩年になって、人間性のなかに善のみをみるのでなく、悪―悪行についての理論を発展させ、善と悪とを概念的に統合し、それによって包括的な理論を創造しようとしたが、それを果たさないうちに、1970年6月、突然に亡くなった。

[星野 命]

『戸川行男著『人間学的心理学』(1978・金子書房)』『村山正治著『岩波講座 精神の科学2 パーソナリティ』(1983・岩波書店)』『本明寛責任編集『性格心理学新講座 第1巻 性格の理論 第Ⅴ章』 水島恵一著「人間学的心理学」(1989・金子書房)』『畠瀬稔編著『人間性心理学とは何か』(1996・大日本図書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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