仁王村(読み)におうむら

日本歴史地名大系 「仁王村」の解説

仁王村
におうむら

[現在地名]盛岡市長田町ながたちよう材木町ざいもくちよう梨木町なしのきちよう本町通ほんちようどおり三丁目など

盛岡城下の北西部に位置し、南東流する北上川左岸の台地にあたる。二王とも記す。盛岡城および城下建設以前は東の中津なかつ川岸まで村域と考えられ、同城築城後は大部分が侍町・町人町となった。建武元年(一三三四)九月二七日の北畠顕家国宣(大石寺文書)に岩手郡二王郷とみえ、当郷三分の二が後藤佐渡三郎太郎基泰に宛行われているが、南条清時は本領主が反対したとして下地を打渡さず津軽に下向した。


仁王村
にんのうむら

[現在地名]会津高田町吉田よしだ

みや川左岸の扇頂部にあり、北は松岸まつぎし村・堀内ほりのうち村。若松城下より金山かねやま谷に至る街道が通り、宮川にはたか橋という勾欄付きの橋が架かっていた。もと仁王寺におうじ村といい、村名のもととなった仁王寺は大同二年(八〇七)創建と伝える。寛文年間(一六六一―七三)仁王村と改称。天文三年(一五三四)七月晦日の蘆名盛舜判物(仁王寺文書)に「大沼之内おまたの村仁王寺門前、家之事、御むねやく六まハり之分、薬師へ御立願所なり」とあり、門前の家五軒の棟役を六年分免除している。


仁王村
におうむら

[現在地名]豊田市坂上さかうえ町 仁王

ともえ川の支流仁王川の北岸にあり、仁王―所石ところいし大楠おおぐすを結ぶ常寒とこさぶ道と下河内しもごうちから東宮口ひがしみやくちを通って足助あすけ(現東加茂郡足助町)に抜ける外下山としもやま街道が通じている。仁王の北にある天下てんが峰は、全山花崗岩の巨大な岩塊に覆われ、別名弘法こうぼう山ともよぶ景勝地である。近世初めは幕府領、寛永四年(一六二七)奥殿藩領となり明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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