今中次麿(読み)イマナカ ツギマロ

20世紀日本人名事典 「今中次麿」の解説

今中 次麿
イマナカ ツギマロ

大正・昭和期の政治学者 広島大学名誉教授;九州大学名誉教授。



生年
明治26(1893)年4月9日

没年
昭和55(1980)年7月26日

出生地
広島市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔昭和25年〕

経歴
在学中に海老名弾正の本郷教会に入会、その縁で吉野作造知遇を得た。大正8年同志社大法学部教授、11〜12年欧米留学、昭和3年九州帝大法文学部教授となり、16年公刊の「政治学」が発禁となり、17年辞職戦後21年九大に復職、28年広島大教授、32〜38年佐賀大学長、40〜46年北九州大学長を歴任著書に「政治学における方法二元論」「独裁政治」「政党発生論」「政治統制論」「西洋政治思想史」(全2巻)、「政治学序説」「政治学概念」「新政治原理総論」「権力政治の歴史的構造」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「今中次麿」の意味・わかりやすい解説

今中次麿
いまなかつぐまろ
(1893―1980)

政治学者。広島県生まれ。1918年(大正7)東京帝国大学政治学科卒業。牧師海老名弾正(えびなだんじょう)に従いキリスト者として積極的に活動したが、同時に小野塚喜平次、吉野作造に師事して政治学研究の道を進み、同志社大学教授、九州帝国大学教授などを歴任。時局批判を行ったため第二次世界大戦末期には辞職のやむなきに至った。戦後にはふたたび九州大学はじめ多くの大学で研究教育にあたり、一貫して政治科学の確立に努力した。彼は、第一次大戦後の国際平和への望みが共産主義対ファシズムの対決によって失われつつある緊張状況を直視することによって、当初の新カント主義的方法二元論の批判から、やがて唯物的一元論へと進んだ。のちに「危機神学」(弁証法神学)に学び、マルクス的知識社会学を確立したK・マンハイムに基づいて、理念と経験を総合する政治科学の体系化に努めた。著書は『政治学における方法二元論』(1928)、『独裁政治論』(1935)、『西洋政治思想史』全2巻(1951)など。日本政治学会理事長などの要職も歴任した。

[竹原良文]

『『今中次麿政治学論集』全7巻(1978・御茶の水書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今中次麿」の解説

今中次麿 いまなか-つぎまろ

1893-1980 大正-昭和時代の政治学者。
明治26年4月9日生まれ。小野塚喜平次,海老名弾正(えびな-だんじょう)に師事。同志社大,九州帝大,広島大の教授,佐賀大,北九州大の学長をつとめた。昭和55年7月26日死去。87歳。広島県出身。東京帝大卒。著作に「政治学序説」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「今中次麿」の解説

今中 次麿 (いまなか つぎまろ)

生年月日:1893年4月9日
大正時代;昭和時代の政治学者。広島大学教授;九州大学教授
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android