今池(読み)いまぐしいけ

日本歴史地名大系 「今池」の解説


いまぐしいけ

[現在地名]西城町大屋

西城町と比和ひわ町の境に位置する今櫛山(九四七メートル)の八合目付近にある小池。「芸藩通志」に

<資料は省略されています>

とみえる。「久代記」(山口県文書館蔵)によると、大富山おおとみやま城主宮景盛の娘照日の前は「八鳥ノ住人東左近ト云テ二十許リノ若侍」(蟻腰城主東政幸の弟)に思いを寄せたまま、三河内みつがいち(現比和町)三子山みつごやま城主三河内氏に嫁いだ。しかし東左近を忘れられず大富山城へ帰ったが父の怒りを受け再び三河内へ向かう途中、朝日あさひ(今櫛山)の弁天様に参拝したいと山に登り、池に身を投じたという。

「国郡志下調書出帳」によれば、宮景盛は姫の菩提を弔うため大富山西麓入江いりえにあった家臣国頭三郎右衛門隠居の庵を光普こうふ院という観音堂に改めたといい、天正一〇年(一五八二)建立で、姫の法名は光普院殿円月妙通大姉といったと記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「今池」の意味・わかりやすい解説

今池
いまいけ

愛知県名古屋市千種(ちくさ)区にある繁華街。地下鉄東山線と桜通線の今池駅がある。現在、今池中学校のある位置に水田灌漑(かんがい)池があり、大正時代には周辺で草競馬も行われたので馬池とよばれた。今池は馬池からの転訛(てんか)といわれる。1912年(大正1)名古屋電鉄、尾張電軌(おわりでんき)の乗換駅となったころは一面が畑で二、三の紡績工場があっただけであるが、名古屋市の都市化の東進で、八事(やごと)丘陵周辺の住宅地帯化が進むなか、都心との間の今池に商店街や盛り場もでき、副都心の一つになった。

[伊藤郷平]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今池」の意味・わかりやすい解説

今池
いまいけ

名古屋市千種区の一地区。地名由来は,大正年間にこの地にあった灌漑用ため池のまわりを一周する競馬が行われて馬池と呼ばれたことによる。 1912年に笹島-覚王山間に名古屋電鉄,今池-八事 (やごと) 間に尾張電軌が開通して乗換え地点となった。当時は一面畑で2,3の紡績工場と数軒の店があったにすぎなかったが,第2次世界大戦後,闇市から始った店舗が定着し,各種商店や映画館,飲食店の並ぶ歓楽街となった。現在は名古屋市中心部の栄町から東へ 5kmの地点にあり,いわゆる副都心を形成しつつある。

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