改訂新版 世界大百科事典 「伊予紙」の意味・わかりやすい解説
伊予紙 (いよがみ)
伊予国(現,愛媛県)産の手すき和紙の総称。正倉院文書から推定される,奈良時代の主要産紙の24ヵ国に,伊予は入っていないが,決して製紙が行われていなかったのではなく,正倉院に残る735年(天平7)の伊予国税帳はきわめて技術の優れているものである。江戸時代に伊予国は天領と8藩に細かく分割されるが,それぞれ競って製紙を奨励したので,特色をもった産地が数多く生まれた。江戸時代に早く有名になったのは,西条藩の奉書で,今もなお西条市の旧東予市では伊予奉書,しわ入り檀紙,画仙紙などがすかれている。次いで宇和島藩の泉貨紙が有名になり,他の産地でも泉貨紙がすかれるようになった。宇和島藩では,泉貨紙ばかりでなく,杉原,奉書,清帳など数多くのものをすき出していた。あらい簀(す)と細かい簀で同時にすき,すぐに1枚にすき合わせて,たいへんに強靱(きようじん)な紙にするのが特色である。大洲藩の厚くて幅の広い大洲半紙は,佐藤信淵が賞賛したものであった。現在,喜多郡内子町の旧五十崎(いかざき)町ではミツマタの大洲改良紙,楮(こうぞ)紙,障子紙,書道半紙等がすかれており,この大洲和紙は伝統的工芸品に指定されている。旧東予市,旧五十崎町とともに,伊予紙の三大産地の一つである四国中央市の旧川之江市は,天領に属していたので,過去の歴史は他の産地ほど華々しくはないが,江戸時代からミツマタが栽培されており,明治時代に急速に発展した。明治40年ころの最盛期には500戸以上の製紙家がいたという。現在,巨大な洋紙工場,多種多様の紙加工,機械すき和紙と共存して,手すきが活発に行われる全国でも特異な存在で,ミツマタの伊予改良紙,模造半紙,改良書道半紙など,半紙を中心とした書道用紙を生産している。
執筆者:柳橋 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報