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奉書 ほうしょ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奉書
ほうしょ

古文書の一様式。一般に,近侍者が上位者の意を奉じて下達する文書をいい,平安時代以降に盛んになった。上位者が天皇の場合は綸旨 (りんじ) ,上皇の場合は院宣 (いんぜん) ,親王の場合は令旨 (りょうじ) ,三位以上の場合は御教書 (みぎょうしょ) といわれた。

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デジタル大辞泉の解説

ほう‐しょ【奉書】

古文書の形式の一。主人の意を受けて従者が下達する文書。天皇・上皇・公卿の意を受けた場合はそれぞれ綸旨・院宣・御教書(みぎょうしょ)とよばれた。
奉書紙」の略。
奉書足袋(たび)」の略。
奉書紬(つむぎ)」の略。

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百科事典マイペディアの解説

奉書【ほうしょ】

古文書(こもんじょ)の形式の一つ。私人の書状様式の一つとして発生し,平安時代に律令政治の弛緩(しかん)と政治形態の変化に伴って,しだいに公的な文書として用いられるようになった。
→関連項目大内家壁書折紙(書誌)感状知行目録張紙値段奉書紙

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうしょ【奉書】

古文書の一形式。上の者の意を奉(うけたまわ)って伝える文書の意で,書状の特殊様式。現在の封書の源流である書札様(しよさつよう)文書は,中国の隋・唐代の啓や状という私信から日本風に発展を遂げたもので,その様式は,はじめに要件等の本文,本文の終わる次行に日付,日付の下に差出書,日付の次行上段に充名書という構成を基本にしている。10世紀以前の日本は,仮名消息を別として,私信にまだ中国の書儀に従った啓や状を用いた時代であるが,9~10世紀にその形が前述のような形(啓の一形式)に定着するようになり,文体も10世紀には純漢文体から〈侍(はべる)〉〈給(たまう)〉〈候(そうろう)〉を交える和風漢文体となり,さらに11世紀ごろに書止(かきどめ)文言が,〈恐々謹言〉等に規格化され,日本の書札様文書が完成される。

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大辞林 第三版の解説

ほうしょ【奉書】

天皇・将軍などの意向や決定を下知する文書。院宣・御教書の類。
「奉書紙」の略。
「奉書紬つむぎ」の略。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奉書
ほうしょ

主人の意志を伝えるため家臣が発行する文書。身分の高い人が、低い身分の人に対し自分の意志を伝える場合に、本人名の直書でなく家臣に奉書を出させたもので、平安時代以降盛んとなった。「依仰(おうせによって)、執達(しったつ) 如件(くだんのごとし)」などと書き留め、主命であることを表した。奉書は主人の身分によりいろいろの名称でよばれる。天皇の命令で蔵人(くろうど)が出すものを綸旨(りんじ)、上皇・法皇の命令で院臣の出すものを院宣(いんぜん)、天皇・上皇その他貴人の命令で女官の出すものを女房(にょうぼう)奉書、皇后や親王の場合を令旨(りょうじ)、三位(さんみ)以上の公卿(くぎょう)の場合を御教書(みぎょうしょ)という。また検非違使別当(けびいしのべっとう)の別当宣、諸国の知行(ちぎょう)主の出す国宣(こくせん)、橘(たちばな)氏の長者の是定(ぜじょう)宣も奉書である。武家でも奉書は盛んに使われた。鎌倉幕府の関東御教書、六波羅(ろくはら)御教書、鎮西(ちんぜい)御教書、室町幕府の管領(かんれい)奉書、引付頭人(ひきつけとうにん)奉書、奉行人(ぶぎょうにん)奉書、江戸幕府の老中奉書は代表的なものである。このほか鎌倉時代の北条氏、足利(あしかが)氏、室町時代の大名家などでも奉書を発給した。寺院でも仁和寺(にんなじ)門主、延暦寺座主(えんりゃくじざす)、東寺長者などに奉書がみられる。奉書はもと私的内容に使われることが多かったが、しだいに公的内容を取り扱うようになり、とくに幕府では公文書(こうぶんしょ)として用いられた。[百瀬今朝雄]

奉書紙

奉書に用いる紙を奉書紙といい、略して奉書とよぶ。1712年(正徳2)成立の寺島良安の『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』には「奉書紙は檀紙(だんし)に属し、大小厚薄あり、杉原紙、奉書紙はやや薄く軟らか」とあり、同時代の文献には大奉書、中奉書、小奉書などの種類も記されている。近世に至るまで盛んに使用された奉書は、杉原紙と同様のコウゾ(楮)を原料とした厚手の和紙であった。
 奉書紙の名が文献に初出するのは1573年(天正1)の『尋憲記(じんけんき)』正月27日の条で、越前(えちぜん)(福井県)において奉書紙を購入した旨の記事であるといわれ、そのころからすでに越前国が名産地であったことがうかがえる。越前国五箇(ごか)村(越前(えちぜん)市今立(いまだて)地区)の三田村家は、中世末期から将軍家や国守(こくしゅ)の奉書紙漉(す)き立ての特権が与えられ、江戸時代に至るまで続いた。江戸時代には武家だけでなく、公家(くげ)なども奉書を愛用するようになり、五箇村ではさらに多くの製紙業者が現れて越前奉書の名を世に知らしめた。そのころから奉書の生産は全国的に広がり、1777年(安永6)刊の木村青竹(せいちく)編『新撰紙鑑(しんせんかみかがみ)』には、越前のほかに丹後(たんご)、因幡(いなば)、加賀(かが)、美作(みまさか)、阿波(あわ)、京、土佐(とさ)、備中(びっちゅう)、備後(びんご)、豊後(ぶんご)、筑前(ちくぜん)、筑後(ちくご)、伊予(いよ)、安芸(あき)、長門(ながと)、美濃(みの)の名が記されている。越前奉書の種類には、御前広(ごぜんひろ)(中広)、大奉書(本政(ほんまさ))、中奉書(間政(あいまさ))、小奉書(上判)、色奉書、紋奉書、墨流しがあり、色奉書は五色ある。なお、現在市販されている奉書の多くは木材パルプを原料としている。[町田誠之]

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世界大百科事典内の奉書の言及

【書下】より

…鎌倉時代以降,一般に侍臣が主人の命をうけ,あるいはあらかじめ与えられた職務権限に基づき,みずからの直状(じきじよう)(直書)の形式で部下に発給する文書。主人の命令の要旨を引用し,その旨を奉じたことを表す文言(奉書文言)をもつ侍臣の書札を奉書というのに対し,書下は主人の指示の有無にかかわらず侍臣の職務上の権限と責任において発するもので,奉書文言を含まない書札である。鎌倉時代の基本的な法律用語を説明した《沙汰未練書》には〈書下トハ執筆奉行奉書也〉とあるが,この場合の“奉書”とは主人(鎌倉将軍)の命を奉る側面を強調したものである。…

【判物】より

…また佐藤は〈直状(判物)〉という表現をしばしば用いており,直状と判物の区別を明らかにしていない。いずれにしても武家文書において奉行・昵近衆・年寄などが主人の仰せをうけたまわって発給する奉書と,この判物(直書や書下を含めて)は対比して考えられ,また戦国時代,江戸時代では,奉書および印判状(朱印状,黒印状)と対比されよう。いずれも判物のほうが,相手をより敬った丁重な文書である。…

【御教書】より

…〈みきょうじょ〉と読む説もある。参議,三位(公卿)相当以上の貴人の仰(おおせ)を奉じた奉書をいう。中国の唐制で,親王,内親王の命を下達する文書を〈教〉ということから,日本ではこれを準用して貴人の仰を〈教〉といい,仰を文書としたものを〈教書〉といった。…

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