コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

伊地知正治 いじち しょうじ(まさはる)

6件 の用語解説(伊地知正治の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

伊地知正治

薩摩鹿児島藩士。季平の次男。通称は竜右衛門。左院副議長・修史館総裁・宮内省御用掛などを経て宮中顧問官となる。伯爵・正三位勲一等。明治19年(1886)歿、59才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊地知正治 いじち-まさはる

いじち-しょうじ

伊地知正治 いじち-しょうじ

1828-1886 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政11年6月27日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。軍役奉行をへて,戊辰(ぼしん)戦争で東山道先鋒総督参謀となる。新政府で明治7年左院議長・参議,のち一等侍講,修史館総裁などを歴任し,17年伯爵,19年宮中顧問官となる。明治19年5月23日死去。59歳。通称は竜右衛門。名は「まさはる」ともよむ。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

伊地知正治

没年:明治19.5.23(1886)
生年:文政11.6.1(1828.7.12)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,明治政府の官僚。父は季平。藩校造士館教師。安政5(1858)年京にあって有馬新七,西郷隆盛らと井伊政権打倒の計画を進め帰国。翌6年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。万延1(1860)年軍賦役,文久2(1862)年軍役奉行として島津久光の率兵上洛に随行。薩英戦争に参軍。戊辰戦争では東山道先鋒総督府参謀,次いで大総督府参謀補助として板垣退助と共に会津を攻略。明治3(1870)年侍講,以来,薩摩藩権大参事,左院大議官兼教部省御用掛,左院副議長,参議,修史官総裁,宮中顧問官を歴任。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊地知正治
いじちまさはる

[生]文政11 (1828).6.1. 薩摩
[没]1886.5.23. 東京
幕末の薩摩藩士。戊辰戦争のとき東山道先鋒総督参謀となり,維新後は左院副議長,修史館(→修史局)総裁,宮内省御用掛を経て,1886年宮中顧問官となった。1884年伯爵。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊地知正治
いじちまさはる
(1828―1886)

明治前期の官僚。文政(ぶんせい)11年6月1日薩摩(さつま)藩士の家に生まれる。藩校造士館教授、軍役奉行などを経て、1868年(明治1)の戊辰(ぼしん)戦争で東山道先鋒(せんぽう)総督参謀として活躍、永世禄(えいせいろく)1000石を賜った。1871年政府に入り左院議官。1872年同副議長。1874年同議長となり参議兼任。1875年一等侍講、ついで修史館副総裁。1877年同総裁。1879年宮内省御用掛。1884年伯爵。1886年宮中顧問官となり、同年(明治19)5月23日死去。[毛利敏彦]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

伊地知正治の関連キーワード岩下方平高崎正風高崎五六児玉源之丞鹿児島古薩摩鹿児島県薩摩川内市国分寺町伊地知貞馨大迫貞清高城七之丞

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone