伊庭八郎(読み)いばはちろう

改訂新版 世界大百科事典 「伊庭八郎」の意味・わかりやすい解説

伊庭八郎 (いばはちろう)
生没年:1843-69(天保14-明治2)

幕末の心形刀(しんぎようとう)流剣客。名は秀穎。心形刀流8代伊庭軍兵衛秀業の長男。若くして剣術に優れ,また学問素養もあった。美男豪勇で名が高く〈伊庭の小天狗〉といわれる。講武所から幕府奥詰となり,心形刀流の跡目を継ぐことになったが,幕末騒乱の中,幕府の遊撃隊を率いて鳥羽伏見の戦(1868)に参加,その後官軍の東征に対する箱根での戦で片腕を失う。1869年榎本武揚のもと函館に向かい,官軍との戦闘で銃創を負い戦死星亨を刺殺した伊庭想太郎は弟。
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朝日日本歴史人物事典 「伊庭八郎」の解説

伊庭八郎

没年:明治2.5.12(1869.6.21)
生年:天保14(1843)
幕末の幕臣,剣客。名は秀穎。講武所剣術師範伊庭軍兵衛の長男として,江戸下谷御徒町に生まれた。武術に秀で,伊庭の小天狗の称を得る。講武所に入り,元治1(1864)年奥詰となり将軍徳川家茂に随従。慶応2(1866)年の軍政改革に伴い新設の遊撃隊に編入され,鳥羽・伏見に奮戦負傷して江戸に帰ったのち人見勝太郎らの同志と海路真鶴に出,新政府軍の背後を突いて箱根に戦った。激闘左腕を失いながらも敵を散じ,勇名を馳せる。その後箱館に走り榎本武揚軍に合流,明治2(1869)年肩と腹に銃創を負い,五稜郭に陣没した。年27。辞世は「まてよ君迷途も友と思ひしにしばしおくるる身こそつらけれ」。なお,星亨を暗殺した想太郎は弟。<著作>『伊庭八郎征西日記』

(三井美恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊庭八郎」の解説

伊庭八郎 いば-はちろう

1843-1869 幕末の剣術家,武士。
天保(てんぽう)14年生まれ。心形刀(しんぎょうとう)流8代伊庭軍兵衛の長男。伊庭想太郎の兄。9代伊庭秀俊の養子となり,宗家(10代)をつぐ。講武所から奥詰勤務となり,将軍の護衛役として京坂におもむく。鳥羽・伏見の戦いで負傷,箱根戦争で左腕をうしない,江戸にもどり彰義隊にはいったが敗れた。明治2年5月12日五稜郭(ごりょうかく)の戦いで死去。27歳。名は秀穎(ひでさと)。著作に「征西日記」。
【格言など】まてよ君迷途(めいど)も友と思ひしにしばしおくるる身こそつらけれ(辞世)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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