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伊庭八郎 いば はちろう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊庭八郎 いば-はちろう

1843-1869 幕末の剣術家,武士。
天保(てんぽう)14年生まれ。心形刀(しんぎょうとう)流8代伊庭軍兵衛の長男。伊庭想太郎の兄。9代伊庭秀俊の養子となり,宗家(10代)をつぐ。講武所から奥詰勤務となり,将軍の護衛役として京坂におもむく。鳥羽・伏見の戦いで負傷,箱根戦争で左腕をうしない,江戸にもどり彰義隊にはいったが敗れた。明治2年5月12日五稜郭(ごりょうかく)の戦いで死去。27歳。名は秀穎(ひでさと)。著作に「征西日記」。
【格言など】まてよ君迷途(めいど)も友と思ひしにしばしおくるる身こそつらけれ(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊庭八郎

没年:明治2.5.12(1869.6.21)
生年:天保14(1843)
幕末の幕臣,剣客。名は秀穎。講武所剣術師範伊庭軍兵衛の長男として,江戸下谷御徒町に生まれた。武術に秀で,伊庭の小天狗の称を得る。講武所に入り,元治1(1864)年奥詰となり将軍徳川家茂に随従。慶応2(1866)年の軍政改革に伴い新設の遊撃隊に編入され,鳥羽・伏見に奮戦。負傷して江戸に帰ったのち人見勝太郎らの同志と海路真鶴に出,新政府軍の背後を突いて箱根に戦った。激闘に左腕を失いながらも敵を散じ,勇名を馳せる。その後箱館に走り榎本武揚軍に合流,明治2(1869)年肩と腹に銃創を負い,五稜郭に陣没した。年27。辞世は「まてよ君迷途も友と思ひしにしばしおくるる身こそつらけれ」。なお,星亨を暗殺した想太郎は弟。<著作>『伊庭八郎征西日記』

(三井美恵子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

いばはちろう【伊庭八郎】

1843‐69(天保14‐明治2)
幕末の心形刀(しんぎようとう)流剣客。名は秀穎。心形刀流8代伊庭軍兵衛秀業の長男。若くして剣術に優れ,また学問の素養もあった。美男と豪勇で名が高く〈伊庭の小天狗〉といわれる。講武所から幕府奥詰となり,心形刀流の跡目を継ぐことになったが,幕末騒乱の中,幕府の遊撃隊を率いて鳥羽・伏見の戦(1868)に参加,その後官軍の東征に対する箱根での戦で片腕を失う。1869年榎本武揚のもと函館に向かい,官軍との戦闘で銃創を負い戦死。

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