伊藤 晴雨
イトウ セイウ
明治〜昭和期の絵師,風俗考証家
- 生年
- 明治15(1882)年3月3日
- 没年
- 昭和36(1961)年1月28日
- 出生地
- 東京・浅草
- 本名
- 伊藤 一
- 経歴
- 父は金属彫刻師。12歳から10年間彫刻師の丁稚を務めたのち、絵師として独立する。看板、包装紙等の絵描きから、読売新聞記者、沢田正二郎の舞台装置美術担当へと出世。一方、16歳から女体の責め絵、縛り絵を描いてその道の大家となるが、妻やモデルに逃げられるなど特異な絵師としても知られた。著書に「風俗野史」「いろは引江戸と東京風俗画史」(全6巻)など多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
伊藤晴雨 (いとうせいう)
生没年:1880-1961(明治13-昭和36)
明治・大正・昭和初期にかけて活躍した異端の画家。8歳のとき琳派の画家野沢堤雨の門に入り,生涯を通じて〈責め絵〉〈縛り絵〉を描きつづけた。とくに1927年から5年を費やして刊行した《いろは引江戸と東京風俗画史》全6巻は,画家・時代考証家としてのすぐれた業績のひとつに数えられる。交友関係も演劇,文・画壇にまたがり,落語家の桂文楽らからは〈駒込の先生〉と慕われた。
執筆者:山下 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
伊藤晴雨 いとう-せいう
1882-1961 明治-昭和時代の日本画家。
明治15年3月3日生まれ。新聞各紙に挿絵をえがき,ついで芝居の看板・舞台装置を手がける。のち江戸趣味の著作に専心。責め絵,幽霊画で知られた。昭和36年1月28日死去。78歳。東京出身。本名は一(はじめ)。著作に「いろは引 江戸と東京風俗野史」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
伊藤晴雨【いとうせいう】
明治から昭和初期にかけて活躍した絵師。東京浅草生れ。光琳派の絵師野沢堤雨に師事。生涯を通じ責め絵・縛り絵を描いた。《いろは引江戸と東京風俗画史》全6巻(1927年−1932年)は,絵師・時代考証家としてのすぐれた業績のひとつに数えられる。
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伊藤 晴雨 (いとう せいう)
生年月日:1882年3月3日
明治時代-昭和時代の日本画家
1961年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報