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伊藤晴雨 いとう せいう

美術人名辞典の解説

伊藤晴雨

日本画家。東京生。本名は一。初め静雨と号す。父は彫金師で、彫刻師に奉公しながら絵を独習するが、のち野沢堤雨に師事琳派を学ぶ。明治末年頃から新聞社挿絵を担当、のち演劇界で看板・番付等を描き、その後江戸趣味等の著作に没頭する。責め絵・幽霊画などの風俗画家として知られる。昭和36年(1961)歿、78才。

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百科事典マイペディアの解説

伊藤晴雨【いとうせいう】

明治から昭和初期にかけて活躍した絵師。東京浅草生れ。光琳派の絵師野沢堤雨に師事。生涯を通じ責め絵・縛り絵を描いた。《いろは引江戸と東京風俗画史》全6巻(1927年−1932年)は,絵師・時代考証家としてのすぐれた業績のひとつに数えられる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊藤晴雨 いとう-せいう

1882-1961 明治-昭和時代の日本画家。
明治15年3月3日生まれ。新聞各紙に挿絵をえがき,ついで芝居の看板・舞台装置を手がける。のち江戸趣味の著作に専心。責め絵,幽霊画で知られた。昭和36年1月28日死去。78歳。東京出身。本名は一(はじめ)。著作に「いろは引 江戸と東京風俗野史」。

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世界大百科事典 第2版の解説

いとうせいう【伊藤晴雨】

1880‐1961(明治13‐昭和36)
明治・大正・昭和初期にかけて活躍した異端の画家。8歳のとき琳派の画家野沢堤雨の門に入り,生涯を通じて〈責め絵〉〈縛り絵〉を描きつづけた。とくに1927年から5年を費やして刊行した《いろは引江戸と東京風俗画史》全6巻は,画家・時代考証家としてのすぐれた業績のひとつに数えられる。交友関係も演劇,文・画壇にまたがり,落語家の桂文楽らからは〈駒込の先生〉と慕われた。【山下 武】

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