住吉新田(読み)すみよししんでん

日本歴史地名大系 「住吉新田」の解説

住吉新田
すみよししんでん

[現在地名]松茂町住吉

笹木野ささぎの村に北・西・南の三方を囲まれ、東は満穂みつほ新田・豊岡とよおか新田。笹木野新田・鴻池新田とも称される。当地域は天明年間(一七八一―八九)まで、北が吉野川広戸ひろと口、南が吉野川今切いまぎれ口を経て吉野川別宮べつく口に接する広大な潟湖の一部で、一七世紀の中・後期に干拓された笹木野村の東に広がる扇形干潟であった(「笹木野新田用水絵図」蜂須賀家文書)阿波伊沢いさわ(現阿波町)出身の土木技術者伊沢亀三郎は、天明三年にこの潟湖の大部分にあたる宮島みやじま(現徳島市)から別宮浦長原ながはらにかけての約四〇〇町歩の干拓工事に着手した。大坂安堂寺あんどうじ(現大阪市中央区)の商人袋屋作次郎の資金面での支援のもと、亀三郎は吉野川今切口を挟んで南北二ヵ所で工事を進め、北側には別宮浦長原と笹木野村の間の萱野を干拓するため大きな堤防を築き、南側では宮島浦の北側に新田を開く工事を行った。しかしこの工事は天明四年の洪水で大被害を受け、袋屋作次郎が事業から撤退したためにやむなく一時中止となった。亀三郎は計画を再検討し、北側の工事の規模を縮小し、笹木野村の東側に接する約七〇町歩の扇形干潟を干拓することにして、大坂の商人鴻池清助の出資を取付け、天明七年耕地面積三七町歩の新田を完成させた(「成立書并系図共・伊沢速蔵」徳島大学附属図書館蔵)


住吉新田
すみよししんでん

[現在地名]紫雲寺町住吉

北は中島なかじま新田・大中島おおなかじま新田、南は南成田みなみなりた新田、釜杭新かまぐいしん(現加治川村)。享保二〇年(一七三五)検地紫雲寺潟新田の一村で、開発願人柏崎町宮川四郎兵衛の請地。住吉の地名は、柏崎町で海運業を営んでいた宮川氏が村の鎮守として住吉神社を勧請したことにちなむ。元文元年(一七三六)の検地帳写(神田礼次郎氏蔵)によれば、高三九八石一斗余・反別三六町五反余で、検地の名請人は四郎兵衛である。飛地は東方に字上住吉・中住吉・下住吉、南方に字わりいちわりの五ヵ所があり、ともに田・野である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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