佐藤次郎(読み)さとうじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐藤次郎」の意味・わかりやすい解説

佐藤次郎
さとうじろう
(1908―1934)

日本テニス史を飾る最高峰の一人。群馬県出身。早稲田(わせだ)大学在学中に全日本選手権優勝。1929年(昭和4)来日した「フランス四銃士」の一人ブルニヨンを破り注目を浴びる。この年フランスはデビスカップをアメリカから奪い日の出の勢いであった。31年のデビスカップに出場し34年まで日本代表。32年と33年ウィンブルドン全英選手権男子シングルス準決勝、33年ダブルスで決勝進出同年マイヤーズ・ローンテニス年鑑世界ランキング3位。剛毅(ごうき)果敢、かつ理知的なテニスは、そのポーカーフェイスと相まって相手を圧倒した。34年(昭和9)主将としてデビスカップ欧州ゾーン参加の途次、4月6日マラッカ海峡に姿を消した。遺書を残した覚悟自殺であった。

[久保圭之助]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「佐藤次郎」の解説

佐藤 次郎
サトウ ジロウ

昭和期のテニス選手



生年
明治41(1908)年1月5日

没年
昭和9(1934)年4月5日

出生地
群馬県群馬郡長尾村(現・子持村)

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部卒

経歴
昭和5年硬式テニス日本ランキング1位となり、翌6年デ杯代表に。その後も7、8年と2年連続してウィンブルドン大会でシングルス準決勝進出、8年ダブルスでは準優勝を飾り、同年の世界ランキング第3位、国民的英雄となった。9年のデ杯では出場を辞退したが、協会説得出発、途中マラッカ海峡で投身自殺した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「佐藤次郎」の意味・わかりやすい解説

佐藤次郎 (さとうじろう)
生没年:1908-34(明治41-昭和9)

テニス選手。群馬県出身。早稲田大学卒業。軟式テニスから硬式テニスに転じ,1930年に日本ランキング1位となり,31-34年のデビス・カップ選手権日本代表に選ばれた。32,33年にウィンブルドン・テニス大会シングルスでベスト4に進出,33年の同大会ダブルスで布井良助と組み準優勝をとげた。34年4月,デビス・カップ戦選手として渡欧の途次,マラッカ海峡に身を投じた。イギリスなどの新聞も彼の生前の活躍をたたえ,その死を悼んだ。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤次郎」の解説

佐藤次郎 さとう-じろう

1908-1934 昭和時代前期のテニス選手。
明治41年1月5日生まれ。昭和7,8年の全英選手権でつづけてベスト4となり,8年のダブルスでは布井良助とくみ準優勝。同年の世界ランキング3位。6年から4年連続してデビス-カップ戦日本代表となり,9年欧州ゾーン出場のため渡欧の途中,4月5日マラッカ海峡で投身自殺した。27歳。群馬県出身。早大卒。

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367日誕生日大事典 「佐藤次郎」の解説

佐藤 次郎 (さとう じろう)

生年月日:1908年1月5日
昭和時代のテニス選手
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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