佐藤清(読み)サトウ キヨシ

20世紀日本人名事典 「佐藤清」の解説

佐藤 清
サトウ キヨシ

明治〜昭和期の詩人,英文学者



生年
明治18(1885)年1月11日

没年
昭和35(1960)年8月15日

出生地
宮城県仙台市

別名
号=澱橋(デンキョウ)

学歴〔年〕
東京帝大英文科〔明治43年〕卒

経歴
早くから「文庫」などに詩を投稿し、明治38年刊行詞華集「青海波」にその一部がおさめられる。のち「詩声」を主宰。大正3年「西灘より」を刊行。以後「愛と音楽」「海の詩集」「雲に鳥」などの人道主義的なおだやかな詩風の詩集がある。英文学者として関西学院、東京女高師各教授を経て、大正15年から昭和20年まで京城帝大教授、24年青山学院大教授を歴任した。「佐藤清全集」(全3巻)がある。


佐藤 清
サトウ キヨシ

明治〜昭和期の病理学者



生年
明治16(1883)年10月3日

没年
昭和43(1968)年9月1日

出生地
北海道

学歴〔年〕
千葉医学専門学校〔明治40年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
陸軍軍医ののち明治42年東京帝大病理学教室に入り長与又郎教授に師事、のち日本赤十字病院病理部長、熊本医科大学教授、大正15年東京女子医学専門学校教授となり、昭和2年文部省在外研究員としてベルリンに留学、フィッシャー教授に組織培養を学んだ。20年退職、恙虫病病原体の培養の研究、血液学の分野で活躍。著書に「図説血液学の臨床」「実験血液学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤清」の解説

佐藤清(2) さとう-きよし

1885-1960 明治-昭和時代の英文学者,詩人。
明治18年1月11日生まれ。関西学院,東京女高師,京城帝大,青山学院大の教授をつとめた。詩,短歌を「文庫」「六合(りくごう)雑誌」などに寄稿し,戦後,個人季刊誌「詩声」を主宰した。昭和35年8月15日死去。75歳。宮城県出身。東京帝大卒。旧姓は岡。号は澱橋(でんきょう)。著作に「キーツ研究」,詩集に「西灘より」など。

佐藤清(1) さとう-きよし

1883-1968 明治-昭和時代の病理学者。
明治16年10月3日生まれ。43年より東京帝大で長与又郎(またお)にまなぶ。日本赤十字社病院病理部長,熊本医大教授をへて,大正15年東京女子医専教授となる。長与とのツツガムシ病の共同研究や血液学の業績で知られた。昭和43年9月1日死去。84歳。北海道出身。千葉医専卒。著作に「図説血液学の臨床」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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