日本大百科全書(ニッポニカ) 「余剰農産物協定」の意味・わかりやすい解説
余剰農産物協定
よじょうのうさんぶつきょうてい
小麦、大麦、トウモロコシ、綿花などの農産物の過剰生産に悩むアメリカが、余剰農産物の対外輸出の促進を図ると同時に、それを援助に利用しようとして各国と結んだ協定。アメリカは、1954年に農産物貿易促進援助法Agricultural Trade Development and Assistance Act of 1954(公法480号Public Law 480ともいう)を制定した。同法は、余剰農産物の輸出を受け入れ国通貨で決済し、その売上代金を相手国に積み立て、それで戦略物資を買い付けたり、その国への経済援助にあてたり、また食糧不足や飢餓に悩む国への贈与にも使うという内容のもので、いわば輸出拡大と援助を兼ねた余剰農産物処理方法といえる。同時にアメリカの政治的、軍事的な対外戦略ときわめて関連した援助輸出政策でもあった。余剰農産物協定は、この公法480号に基づくもので、90余か国との間に結ばれ、日本も1955年(昭和30)、56年の2回協定を結んでいる。
この協定は、受け入れ国の食糧・農業生産を圧迫したり、他の穀物輸出国の輸出を減少させたりするなどの批判が出ていたが、1960年代中ごろからアメリカの農産物の余剰も緩和し、また対外援助の膨張によってドル危機が激化したため、農産物輸出政策も軌道修正された。66年に公法480号の延長法として成立をみた「平和のための食糧法」Food for Peace Act of 1966は、輸出の対象を余剰農産物に限定せず農産物全般に拡張し、受け入れ国通貨払い方式からドルによる延べ払い方式とするもので、その後は、従来の援助輸出は減少し、主として先進国を対象とする商業ベースの輸出が行われるようになった。
[秋山憲治]