一般に、人に物品を無償で与えることを意味する。人に物品を有償で与える場合には、それは売買、交換などとよばれ、贈与行為とは区別される。しかし、ある贈与行為に対して、受け手側から贈り手側に返礼としてなんらかの贈与が行われることも多い。その場合には、結果的にみて、こちらが相手方に与えた物品と、こちらが相手方から受け取った物品との交換が成立しており、最初にこちらが相手方に物品を与えた行為は無償の行為ではなかったと考えることもできる。したがって、無償であるか有償であるかは、かならずしも明確に区別できるわけではない。たとえ返礼を受けたとしても、贈り手がまったく返礼を期待していなかったならば、それは無償の行為であったとすることは可能である。
また、こちらが相手方にある物品を与え、相手方からある物品を受け取った場合、それがこちらの贈与行為に対する返礼であると意識されていないならば、それは交換ではないとすることも可能である。しかし、どちらの場合にも、当事者同士の意識が問題となり、実際にそれを明らかにすることは困難な場合が多い。無償であるか有償であるかを問うことは、法律的には重大な問題ではあるが、かならずしもつねに有意味なことであるとは限らない。したがって、贈り手の意図に関係なく、人に物品を与えること自体を贈与と規定し、なんらかの返礼を受け取った場合に、それを交換あるいは贈与交換とよぶほうが適当である。
[栗田博之]
一般に贈与が無償の行為であるとされるのと並行して、贈与が個人の自由意志に基づいて行われるとされることが多い。確かに、贈与を行うか行わないかは、贈り手の意志に基づいているし、受け手が提供された物品を受け取るか受け取らないかも、受け手の意志に基づいている。しかし、中元や歳暮など身近な贈与の例を考えてみればわかるように、贈与は慣習化された行為であることが多く、贈与を行う機会、場が社会的に規定されていることも多い。また、ある社会関係において、贈与がなかば義務的な行為とされている場合も多い。すなわち、社会生活のある場面では、人は贈与を行うべきであるとされ、また逆に、人は提供された物品を受け取るべきであるとされるのである。そして、この贈与する義務、受け取る義務が果たされるならば、贈り手と受け手の間の社会関係には問題は生じない。これとは逆に、贈与する義務が果たされなかったり、受け取る義務が果たされなかったりすれば、両者の間の社会関係にはなんらかの変化が生じてしまう。この点からみて、ある社会的場面での贈与は、既存の社会関係を安定させる役割を果たしていると考えられる。また、贈与によって、ある社会関係がつくりだされるという点も見落としてはならない。
[栗田博之]
贈与がなかば義務的なものとされている場合が多いのと同様に、贈与に対する返礼が義務化されている場合も多い。ある社会関係においては、一方向の贈与だけでは十分でなく、それに対する返礼として、逆方向の贈与が必要とされるのである。この返礼の義務が果たされるとき、二者の間には贈与交換が成立する。贈与交換の成立は、既存の社会関係を安定させたり、新たな社会関係をつくりだすなど、人間の社会生活に大きな意味をもっている。実際の社会生活においては、贈与交換の関係は単なる二者間関係ではなく、より複雑に入り組んだものとなっており、さまざまな贈与交換の関係が交錯しあっている。そして、この複雑な交換関係の網の目は、人は他者になんらかを与えるべきであり、そうすれば他者も自分になんらかを与えてくれる、という互酬性の原理によって支えられている。その互酬性の原理は、社会規範として、さまざまな社会に広くみられるものである。
[栗田博之]
社会生活における贈与、贈与交換の重要性に注目したマルセル・モースは、その著書『贈与論』のなかで、世界各地の贈与交換のシステムを取り上げ、贈与交換の社会的・文化的意味を論じて、その後の贈与交換研究の先駆者となった。モースは、贈与交換の体系を「全体的給付組織」とよび、さらにそれを「全体的社会的事実」としてとらえなければならないと論じた。そして、贈与交換の体系には、贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務の三つの義務が存在することを示し、どのような力が返礼を強制しているのかが主要な問題であるとした。モースはこの問題に対して、贈り物に付随する超自然的な力が、それに対する返礼がなされない場合に、受け手に災厄をもたらすので、返礼がなされる、というマオリ人の説明を援用している。現在、このようなモースの主張は退けられているが、『贈与論』の果たした先駆的な役割は高く評価されている。『贈与論』のなかで取り上げられた世界各地の贈与交換のシステムのなかでも、とくに二つの事例が著名である。その一つは、北アメリカ北西海岸部に住む先住民の間で行われた、ポトラッチとよばれる、饗宴(きょうえん)を伴う贈与交換である。ポトラッチでは、贈られた物よりもより多くの物を返礼することに重点が置かれ、これに成功すれば、威信を高めることができた。モースはこのポトラッチを「競覇型の全体的給付」とよび、贈与交換のもつ競争的な性格に注目している。
[栗田博之]
もう一つの事例は、マリノフスキーの報告によって有名になった、メラネシアのトロブリアンド諸島周辺で行われている、クラとよばれる円環的な贈与交換のシステムである。クラ交換では、円環をなす交換圏内で、2種類の装飾品が互いに逆方向に贈り物として人の手を渡っていく。この装飾品は儀礼的な財物であるが、このほかに、クラ交換に伴ってさまざまな物品の贈与、交易が行われる。クラが単なる儀礼的贈与交換ではなく、社会関係、経済関係、儀礼、呪術(じゅじゅつ)などの複合体であることを示したという点で、マリノフスキーの研究のもつ意味は大きい。
[栗田博之]
モースの『贈与論』を批判しながらも、これを発展的に継承したレビ・ストロースは、単なる物品の贈与交換の体系だけでなく、婚姻における女性の交換の体系にも注目し、この両者を総合した、全体的交換の体系をその分析の対象とした。レビ・ストロースは、社会生活においては、氏族などの集団が孤立して存在することは不可能であり、集団間の持続的な連帯や同盟が必要であるとし、この連帯や同盟を維持・促進するのが、物品や女性の交換であると考えた。レビ・ストロースは、女性の交換の体系、すなわち婚姻体系の分析に重点を置いており、かならずしも物品の贈与交換の体系を詳しく扱っているわけではない。しかし、モース、レビ・ストロースによって開かれた、社会生活の研究において贈与交換に注目する視座は、現在でも多数の研究者によって受け継がれている。
[栗田博之]
一方、マリノフスキーが、クラ交換の分析において、物品の贈与交換がかならずしも功利的な目的の追求の下に行われているわけではないということを示して以来、贈与交換のもつ経済的な意味をどのように考えるべきかが問題とされるようになった。ポランニーは、非市場社会における互酬性に基づいた贈与交換が、再分配、市場交換と並んで、一つの経済統合の原理であることを示し、功利性、利潤追求の市場経済がかならずしも普遍的なものではないと主張した。その結果、市場経済に基づく従来の経済学理論の再検討の必要性が認識されるようになってきた。
このように、贈与、贈与交換の問題は、社会、政治、経済、さらには儀礼、宗教などの問題に深くかかわっているという認識が一般化しつつあり、その研究の重要性もますます大きくなっているのである。
[栗田博之]
『M・モース著、有地亨・伊藤昌司・山口俊夫訳『社会学と人類学Ⅰ』(1973・弘文堂)』▽『レヴィ・ストロース著、馬淵東一・田島節夫監訳『親族の基本講造』(1978・番町書房)』▽『マリノフスキー著、寺田和夫・増田義郎監訳『西太平洋の遠洋航海者』(『世界の名著59』所収・1967・中央公論社)』
当事者の一方が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方がそれを受諾することによって成立する諾成、片務、無償、不要式の契約(民法549条)。なんらの対価なしに無償で財産を与える点に基本的特徴があり、それは寄付などに典型的な姿をみる。しかし、実質的な動機としてはなんらかの反対給付を期待している場合があり、また実際には相続財産を贈るという形で与える場合も少なくない。
贈与の成立については、書面によることを必要とする立法例が多いが、日本の民法では書面は不要である。ただし、書面によらない贈与は、履行の終わった部分を除き、これを取り消す(撤回する)ことができる(同法550条)から、実際上の効力は弱められている。贈与の効力は、贈与者が約束した財産を受贈者に与える債務を負担することである。この場合、贈与者は特約がない限り原則として担保責任を負わない。すなわち、贈与の目的たる物または権利に瑕疵(かし)や欠缺(けんけつ)があっても責任を負わない(同法551条1項)。ただし、贈与者がそれを知っていて告げなかったときには損害賠償責任を負う(同条1項但書)。また、負担付贈与の場合には負担の限度で売り主と同様の担保責任を負う(同条2項)。なお、特殊の贈与として、死因贈与(贈与者の死亡によって効力を生ずる贈与)、定期贈与(定期的に給付をなす贈与)、混合贈与(贈与と他の有償契約が結合しているもの)がある。
[淡路剛久]
他人に無償で金銭・物品を与えることを一般に贈与というが,贈物の習慣・儀礼等は,〈贈物〉の項で詳述しているので,そちらを参照されたい。ここでは,法律関係に限定して説明する。
当事者の一方が,ある財産を無償で相手方に与える意思を表示し,相手方がこれを受諾することにより効力を生じる契約(民法549条)を民法上,贈与という。季節の贈答,謝礼のための贈物はもとより,老後のめんどうをみてもらうための財産分けなど,なんらかの対価を期待する動機からなされたものであっても,それが単に動機にとどまって行為自体が無償であるかぎり,すべて贈与である。民法上の規定のうえでは,贈与は自己の財産を与える場合にかぎって成立するように書かれているが(549条),他人の財産を無償で与える契約であっても,贈与する者がその他人の財産をいったん自己に取得して与える債務を負担する契約として,有効に成立すると解されている。ただ,他人の財産を贈与するというのは,特別な場合であろうから,贈与者が自己の財産と誤信している場合が少なくなく,その場合には錯誤が問題となる余地がある。
贈与契約の成立によって,贈与する者(贈与者)は相手方(受贈者)に対して財産を無償で与える義務を負う。義務の履行がない場合には,受贈者は,契約の一般原則に従い履行を強制し,または損害賠償を請求できる。ただし,書面によらない贈与は,各当事者がこれを取り消すことができる(550条本文)ので,それだけ贈与契約の拘束力は弱くなっている。贈与は同情心等からなされることが多く,贈与した後になって贈与者の気持が変わることがあるので,意思の明確さを確保し,後日の争いを防ぐのが,この規定の趣旨だと解されている。したがって書面による贈与とは,贈与者が財産を相手方に与える慎重な意思が,文書を通じて確実に看取できる程度の表現があれば足りる,と解される。書面によらない贈与であっても,履行が終わった部分については取り消すことができない(550条但書)。履行が終われば,贈与者の意思は明確であるから,その部分については取り消す必要がない,というのがその理由である。履行が終わるとは,動産については引渡し,不動産については登記または引渡しのいずれか一方がなされたことを意味する。
贈与者は,贈与の目的である物または権利の瑕疵(かし)または欠缺(けんけつ)につき担保責任を負わない(551条1項本文)。贈与は受贈者のみが利益を受ける無償行為であり,贈与者は,ある物や権利を与えることを約束したときには,その物に瑕疵があったり,権利がなかった場合でも,そのままの物あるいは有するだけの権利を与える意思があったと考えるのが普通だからというのが,担保責任を負わないとしている理由である。したがって,贈与者がとくに担保責任を負う旨を約束したときには,それに従うことになる。551条1項の規定により担保責任を負わない場合であっても,贈与者が瑕疵または欠缺を知っていながら受贈者に告げない場合には,贈与者は担保責任を負わなければならない(551条1項但書)。この場合の贈与者の行為は,受贈者に実際よりも過大な利益を与えたように思わせる詐欺に類したものであるから,というのが,その立法趣旨である(なお,572条参照)。
民法は,特殊の贈与について規定をおいている。
(1)負担付贈与 負担付贈与とは,老後のめんどうをみる約束の下に財産を与える場合のように,受贈者に一定の債務を負担させる(利益を受けるのは贈与者に限られず,第三者でも不特定多数の者でもよい)贈与契約をいう。負担付贈与は,受贈者が負担に任じる限度では贈与者の行為と対価的関係に立ち,有償契約に類するものとなるので,負担の限度で贈与者は担保責任を負う(551条2項)。また,対価的関係にたつので,双務契約に関する規定(同時履行の抗弁権,危険負担)が準用される(553条)。
(2)定期贈与 定期贈与とは,毎月末に学資を与えるというように,一定の時期ごとになされる贈与である。この種の贈与は,贈与者または受贈者の死亡によって効力を失う(552条)。この種の贈与にあっては,当事者は死亡後も存続させるという意思をもっていないという推測に基づく規定である。
(3)死因贈与 死因贈与とは,贈与者が死亡したら財産を無償で与えるという趣旨の贈与契約である。贈与者の生前に締結された契約である点では,単独行為である遺贈と異なるが,被相続人の財産処分という点では遺贈に近いので,民法は,贈与の規定よりも遺贈の規定に従うと定めた(554条)。したがって,遺言の効力に関する規定は,性質に反しないかぎり準用されると解されているが,遺贈が単独行為であることによる規定は準用されない。
執筆者:平井 宜雄
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…K.ポランニーによれば,人間社会の歴史全体からみると,生産と分配の過程には,三つの類型の社会制度が存在しており,古代あるいは未開の社会から現代諸社会まで,それらが単一にあるいは複合しながら経済過程の機構をつくってきた。それらは,(1)互酬reciprocity 諸社会集団が特定のパターンに従って相互に贈与しあう,(2)再分配redistribution 族長・王など,その社会の権力の中心にものが集まり,それから再び成員にもたらされる,(3)交換exchange ものとものとの等価性が当事者間で了解されるに十分なだけの安定した価値体系が成立しているもとで,個人間・集団間に交わされる財・サービス等の往復運動,の3類型であり,それぞれの類型は社会構造と密接に連関をもって存在している。市は,この(3)の〈交換〉が成立する社会がつくり出した方式である。…
…相続人が法律上取得することを保障されている相続財産の一定額のことをいい,被相続人が行う贈与・遺贈によっても侵害されえないものである。遺留分制度は,沿革的には大陸法に由来するもので,被相続人の財産処分の自由と法定相続人の権利ないし利益との調整・妥協の産物である。…
…また旅の帰りや訪問など人の移動に伴う贈物が土産(みやげ)であり,このほか祝福や感謝の印としての御祝や御礼など,日本の贈物には状況に応じて名目の区別がある。 贈物をする習慣は古今東西を問わず広く存在する行為であるが,ヨーロッパなどでは歴史的に都市の発達した中世以降,贈与慣行は貨幣経済に駆逐され衰退していったといわれている。だが日本では貨幣経済の発展とも併存し,中世には武士の間で八朔(はつさく)の進物が幕府が禁令を出すほど流行したほか,中元や歳暮は逆に近世以降の都市生活の進展によってより盛んになるなど特異な展開を示してきた。…
…もっぱらこの点で,経済人類学という分野を確定することができる。ところで,こうした経済人類学の素材となる地域は地球上全域にまたがって散在し,素材となりうる経済生活の分野も,贈与,所有関係,生産組織,分配・再分配,消費などさまざまで,これらと呪術・宗教,政治などとのかかわりも対象とされる。経済学はこれらに関して貴重な素材を人類学から受け継いでいる。…
…北アメリカ北西海岸部に住むアメリカ・インディアンのトリンギット族,ハイダ族,クワキウトル族,チィムシャン族,ヌートカ族などの間で行われた競覇的な贈与交換を伴う饗宴。ポトラッチという名称は,ヌートカ語の〈物を与える〉という意味の〈パツシャトル〉という単語が,チヌーク・ジャーゴンと呼ばれる通商言語を経て,英語に入ったものである。…
…王たる者は何よりもまず戦いにおいて勝利をおさめ,多くの戦利品を持ち帰り,臣下に惜しげもなく分け与えられる者でなければならない。アルフレッド大王も〈秀でた指輪贈与者〉と呼ばれている。首長が指輪などの物を家臣に与えるとき,首長のもつある種の優れた能力(マナ)も指輪などを通じて家臣に伝えられ,両者は目に見えない絆で結ばれるのである。…
※「贈与」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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