軍事上の目的のために支出される国家経費で、平時には国防費という。軍事費は、平時の国防費ないし軍備費、戦費、戦後処理費に大別される。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
第二次世界大戦までの近代戦は一国の総力を結集して行われる総力戦であるから、それに備える平時の国家経費のあらゆる部門に軍事費が含まれることになる。すなわち、狭義の軍事費は陸海空三軍の経費を意味するが、軍人恩給や軍事科学技術振興費を含める場合も多い。さらに広義には、軍事公債の元利支払い、軍事産業への補助金、軍事目的をもつ鉄道・道路・港湾・空港の建設費、海外援助費、植民地経営費等々も包含される。また徴兵制は自由募兵制よりも財政上の経費は少なくてすむが、彼らが経済活動に従事していたならば得られたであろう生産物を考慮すると、その国民経済に与えるマイナスも「見えない軍事費」といえよう。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
国民経済の総循環過程において、軍事費は典型的な非生産的消費である。すなわちそれは、財政支出の一環として有効需要となるが、それによって生産された物資・サービスが生産過程に再投入されて生産力を伸長させることは、軍事技術の開発が民間経済に波及する場合などを除いては、あまりない。軍事費が増大すれば、有限な資源がそれだけ軍需品として消耗されるから、民生部門への資源配分が圧縮され、国民経済の循環過程が縮小するからである。
軍事費の支出によって得られるものは、唯一、無形の用益たる国防ないし防衛力の維持・強化である。国民国家が形成される時点においては、その国家固有の領土・国民を保全するために、前記の用益が必然と認められ、国防のため軍備を維持することは国家の重要な任務とされた。政府を「必要悪」としたアダム・スミスが、国内治安の維持、土木事業や教育のための公共事業、外交とともに、国防を国家の義務としたことはよく知られている。しかし、いわゆる帝国主義段階になると、市場拡大・植民地獲得および維持のための軍事支出、他の帝国主義諸国との軍事力バランスを優位に保つための軍事費が、財政上、国民経済上大きな比重を占めてくるようになる。アドルフ・ワーグナーのいう経費膨張の法則であり、その行き着く先が第一次、第二次の両大戦であった。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
第二次世界大戦の終結から、1989年のマルタ会談による冷戦解消までの軍事費の世界的傾向には、次のような特徴がみられる。第一に、一国が自らの領土・国民を保全するという防衛意識よりも、集団安全保障の国防思想が強い。北米とヨーロッパにまたがる北大西洋条約機構(NATO(ナトー))、社会主義圏のワルシャワ条約機構が好例である。第二に、自由主義圏では、アメリカ大統領アイゼンハワーのいう産軍共同体が形成され、国民経済に占める軍事産業の比重が武器輸出を含めて巨大化したため、国民経済運営や海外軍事援助に軍事産業を包含して経営せざるをえなくなった。第三に、エレクトロニクスの発達と関連して通常兵器、戦略兵器ともますます高価になった。第四に、こうした背景に基づく軍事費の増大が両陣営を通じて財政を圧迫し、「バターか大砲か」の選択の余地がきわめて狭められていた。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
冷戦解消後、世界的に軍縮・軍事費縮小に向かいつつある。イギリスの国際戦略研究所(IISS)の『ミリタリー・バランス2000/2001』によると、世界の国防支出は、1985年の1兆2535億ドルから1999年の8085億ドルへと35.5%減少した。また人口1人当りの世界の国防支出は、399ドルから211ドルへ減少、正規兵力も2795万人から2188万人へと減少している。しかしながら、『ミリタリー・バランス2009』によれば、2007年の世界の国防支出は1兆2796億ドルと、1985年とほぼ同水準まで増加した。これは、中国やインドなど新興国とよばれる国々がその経済発展による資力をもとに国防支出を増大させてきたことが要因の一つとしてあげられる。さらに、兵器の高価化も世界の国防支出総額を増加させたと考えられる。しかし、人口1人当りの世界の国防支出をみると、総額の増加にもかかわらず、世界の総人口の増加により、2007年には202ドルと、1999年と比べてわずかに減少している。また、2007年の正規兵力も2049万人と、1999年と比べて減少していることがわかる。いずれにしても、これら国防支出の削減が民間経済へ振り向けられて活力を生み、20世紀末から21世紀初頭にかけての世界経済成長を促進してきたことは疑いない。
冷戦中と比較してみると、世界の軍事費には次のような特徴が指摘できよう。第一は、集団安全保障の変化である。ワルシャワ条約機構は1991年に解散し、一方、NATOは加盟国を増加させながら、それ自体の集団安全保障よりは旧ユーゴスラビアなど近隣の地域紛争への介入・処理へと機能を変えつつある。第二に、軍事行動としては、地域紛争に対して国連が平和維持軍(PKF)を編成し、またアメリカを中心に多国籍軍を編成して処理にあたる場合が増えてきた。第三に、縮小された軍事費とはいえ、エレクトロニクスと軍事技術の開発によって、兵器の高価化をもたらしている事実は変わっていない。なお、『ミリタリー・バランス2022』によれば、2021年の世界の国防支出は1兆9200億ドルとなっている。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
第二次世界大戦前の日本では、戦費は臨時軍事費特別会計により、軍備費・戦後処理費は一般会計により処理されていた。前者は、日清(にっしん)戦争、日露戦争の両大戦時に設置され、戦争終結までを一会計年度としたが、戦争終結後もしばしば一般会計に臨時軍事費が費目として計上され、結局、第二次世界大戦終結まで臨時軍事費は続いていた。その財源としては、公債、借入金、現地調達資金があてられ、日本の戦争は公債でまかなわれたといえる。また一般会計上の軍備費も、平時においても巨額に達し、貧困な国家財政をつねに圧迫していた。
戦後、軍事費は戦後処理費だけとなったが、1950年(昭和25)の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)に関連した警察予備隊(後の自衛隊)創設に始まり、1958年度から1976年度まで4次にわたる「防衛計画」、1977年度から2次にわたる各5年の「中期業務見積り」、1985年度以降、各5年の5次にわたる「中期防衛力整備計画」によって、軍事費はしだいに増大してきた。この間、1989年の冷戦解消を挟んで日本の国防支出額は、1985年の318億ドルから2020年(令和2)の490億ドルへと、むしろ増大している。国防支出額では2020年には主要国9か国中第8位となっている(『防衛白書』令和3年版より)。ただし人口1人当り国防支出額は主要国のなかで突出して低い。これは日本の軍事力が、かならずしも東西対立の冷戦構造に組み込まれていなかったこと、財政支出面で他の支出を圧迫するほど規模が大きくなかったことを示唆している。また日本では、国民国家防衛という国民的コンセンサスが歴史上形成された経緯に乏しく、第二次世界大戦後いきなり集団安全保障の時代を迎えて、これに対する国民的合意がかならずしも形成されていないことも関連している。
[一杉哲也・羽田 亨 2022年6月22日]
『大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史4 臨時軍事費』(1955・東洋経済新報社)』▽『防衛庁編『防衛白書』各年版(財務省印刷局)』
通常は平時における軍の維持費を意味し,戦時においては戦費となる。国防費ともいい,日本では予算上は防衛関係費という。狭義には陸海空軍の人員,装備の維持・拡張などのための経費を指す。しかし予算の構造によっては,陸海空軍各省の所管経費のほかに,軍人恩給費,軍備拡張の財源確保のために発行する公債の元利償還費などが含まれていることもある。また,一般の文治費のなかに軍事的・国防的な意図の性格をもった経費が多分にあることにも注意しなければならない。軍事目的のための公共土木事業費,通信・鉄道施設費,教育文化費,保健衛生費などがそれである。とくに兵器の開発・拡張のためには軍需産業を中心として,基礎産業その他の関連産業の生産力を培養強化する必要から,産業経済費は軍事費と密接に関連する。植民地経営費,海外援助費なども軍事戦略上の意義が大きい。たとえば,日本では防衛費に駐日米軍のための費用が含まれている(1996年度で防衛関係費4兆8455億円のうち,施設整備費972億円,労務費1448億円,光熱費など313億円)。さらにアメリカの場合,緊急時のための産業動員,備蓄,戦略的な援助なども(広義の)国防費に含まれる。アメリカの1995年度国防省予算2574億ドル(直接軍事費のみ)の内容は,人件費(軍人年金を含む)27.8%,作戦・訓練36.4%,兵器などの調達16.9%,開発・試験研究13.4%などとなっている。旧ソ連の場合も直接軍事費として国家予算に計上されているのは全費用のほんの一部であり,兵器の生産・開発費などは在庫投資等の形で計上されていた(〈ソビエト連邦〉の[経済・産業]の項も参照)。軍事費内の人件費の比率は先進国ではだいたい3~4割を占める。また,NATO諸国では軍人年金などを国防費に含めているが,それは退役軍人のほとんどが予備役として有事の際には動員可能であるためで,日本の旧軍人恩給はこれとは性質が違う。さらに現存の工業・技術力はほとんどすべてが軍事に転用可能である。とくに日本のすぐれたエレクトロニクス技術,精密機器の技術は,ほとんどが容易に最先端の軍事技術として転用できるとされている。そのため,これら技術の開発に投下された国の費用も軍事費に含めるべきだという意見もある。
近代以前の国家では,国の財政の非常に大きな部分が軍事費にあてられていた。帝政ロシアでは予算の9割以上が軍事費であった時代もあるといわれる。日本でも江戸時代の五公五民などといわれる重い租税負担の少なからざる部分が,藩の家臣(大部分は士の身分)を養う費用であった。このような負担は経済学の発生の時からその関心の対象にならざるを得なかった。W.ペティは,絶対王政最盛期のフランスの脅威におびえていた当時のイギリスの事情をふまえて,その主著《政治算術》(1690)で,国家の最大の危急存亡のとき,臣民がその支出の10分の1を支払うことは苦痛でも悲しむべきことでもない,といっている。ただし実際には当時フランスの租税は2割程度であったとみられる。A.スミスも《国富論》で分業の原理から職業的軍隊の必要性を説き,軍事技術の進歩は軍事費を増大させるが,それは他国からの不正な侵略を排除し,文明を繁栄させる,といっている。
近代国家が確立し国民軍が成立するにしたがって,軍事費の大きさが兵器の発達や戦争の規模の拡大とあいまって大きくなり,また近代兵器の出現は戦争のもたらす破壊・悲惨さをいっそう重大な問題にした。と同時に軍事費は課税によってまかなわれ,国民の負担とならざるをえないことを一般に強く知らしめるようになった。このような状況にあって,ナポレオン戦争後の戦費問題処理に悩んでいたイギリスで,D.リカードは,《経済学及び課税の原理》(初版1817)で,個々の人が単にその母国に住むという特権のために甘んじて支払う税の負担には限界がある,と述べている。リカードの主張は,租税はその国の資本を減少させ,生産の増加に悪影響をもつ,という考え方を基本にしているが,当時イギリスに脅威となる他の国がなかったことも注意する必要がある。その後軍事費問題はこのような経済的な見解と,政治・軍事的な〈必要性〉の主張との関連において議論されることとなっている。
第2次大戦前の日本の軍事費は,平時で国民所得の3~7%,戦時には17.6%(1937),34.9%(1941),44.7%(1942),61.6%(1943),129.2%(1944)を占めた。終戦時には占領費(戦後処理費)の負担がこれに代わり,1950年の警察予備隊の発足以降,軍事費(防衛関係費)が復活した。日米安全保障条約に基づいて,駐日米軍に対する防衛分担金,施設提供等諸経費の負担,さらにMSA協定に基づいてアメリカ軍事顧問団経費の負担も防衛支出金として軍事費に算入されていた。60年の日米安保条約で防衛分担金の負担の必要はなくなったが,自衛力の増強が必要となり,数次にわたって防衛力整備計画を実施した。1950年度以降,防衛関係費はGNP(国民総生産)の1%を上回り(ピークは1952年度の2.78%),負担が過重であるとして問題になった。60年度以降,この比率は1%を下回っており,76年には閣議決定で,当面,防衛関係費はGNPの100分の1を超えないことをめどとすることとなった(1987年度以降は一時,防衛費は1%枠を突破)。世界の各国をみると,ほとんどの国で軍事費のGNP比は日本を上回っている。中立国のスウェーデンは2.7%,スイスは1.7%(1995)を支出している。とくに冷戦下では超大国の米ソは巨額の支出をしてきたため,軍事費の負担が重すぎることが経済を圧迫し,軍縮が大きな課題となっていた。ソ連のペレストロイカ期以降,米ソ(米ロ)の軍縮が進められた大きな要因の一つはこの点にあった。
しかしながらこの間,日本はアメリカから,〈防衛ただ乗り論〉を理由に自主的な防衛努力の強化を求められてきたという状況も一方にはあって,特に82年の中曾根康弘内閣以後,軍事費増大の傾向を強くした。
→軍産複合体 →軍事化
執筆者:加藤 雅
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…憲法9条の戦力不保持の規定とのかかわりで日本政府は,自衛隊は軍隊ではないとの見方に固執してきた。そのため,自衛隊中心に投じられる軍事向けの国家経費も防衛関係費という呼称を与えられてきたが,実質は軍事費である。外敵からの防衛を主要任務とする国家の実力組織を軍隊とみなす国際的常識に照らせば,〈直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛する〉(自衛隊法3条)役目をおびる自衛隊は紛れもなく軍隊である。…
※「軍事費」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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