修辞学校(読み)しゅうじがっこう(英語表記)rhetorical school

改訂新版 世界大百科事典 「修辞学校」の意味・わかりやすい解説

修辞学校 (しゅうじがっこう)
rhetorical school

古代ギリシアおよびローマにおける,おもに修辞学を教える弁論家養成のための学校。古代ギリシアでは民主政治の発展とともに政界進出の技能としての弁論術が重視されるようになった。このような時代風潮のなかで,プロタゴラスゴルギアスなどのソフィストたちは諸地方を回り有為の青年たちに弁論術を教えたが,イソクラテスは前390年ころアテナイのリュケイオンの近くに修辞学校を開設し名声を博した。この学校は哲学的教養を重視するプラトンアカデメイアとは対照的に,弁論術にたけた世俗的に有能な者の養成を主眼としていたが,彼の死後も勢力を保ち,これを範とした修辞学校が各地に設立された。ローマ時代の共和政末期にギリシア文化の一部として弁論術が移入され,帝政期に入ると上層階級の青年に必須の教養とみなされたため,それを教える修辞学校は隆盛をきわめたが,なかでもクインティリアヌスの学校が有名である。この当時の修辞学校は中等学校としての文法学校に接続する高等教育機関であった。2~3世紀ころから弁論術は形式にとらわれて内容を失い,修辞学校も衰亡の道をたどった。中世以降,独立の修辞学校はなくなったが,修辞学自体は自由七科一つとして尊重された。
レトリック
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「修辞学校」の意味・わかりやすい解説

修辞学校
しゅうじがっこう
school of rhetoric

前4世紀頃から5世紀頃にかけてギリシア,ローマに一般的であった修辞学を教えた学校の総称アテネイソクラテスが前 392年頃設立したのが最初とされているが,この種の学校はアレクサンドロス東征とともにギリシア文化圏に広く行われ,雄弁の理論を教えたと思われる。前 250年頃までにはローマにも盛んに取入れられ,全国の主要都市に設立をみた。初めはギリシア語,のちにはラテン語で修辞学が講じられ,さらに広く存在していた初等の文法学校に対して,庶民の中・高等教育機関の役割を果した。

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世界大百科事典(旧版)内の修辞学校の言及

【ローマ】より

… ローマの学校制度は完全にギリシアの影響を受けて発展した。各地に初等学校が設立された後,次々とギリシア語とラテン語の文法学校や修辞学校が開校された。ローマはギリシア語・ラテン語併用国家であり,生徒たちは両国語の学校に通った。…

※「修辞学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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