倉田精二(読み)くらたせいじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「倉田精二」の意味・わかりやすい解説

倉田精二
くらたせいじ
(1945―2020)

写真家。東京都生まれ。東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。中学、高校の美術教師を経た後、町工場の経営者として一時期を過ごす。学生時代から同時代の美術に影響を受け、前衛的な平面作品やオブジェを制作する一方で、8ミリ映画の制作も手がけるなど、ジャンルを横断しながら制作活動を続けていた。しかし、写真に本格的に取り組みはじめたのは遅く、30歳近くになってからである。1974年(昭和49)細江英公(えいこう)、東松照明(とうまつしょうめい)、荒木経惟(のぶよし)、森山大道(だいどう)らによってワークショップ写真学校が開校されると同時に第一期生として森山大道教室に入校。翌1975年卒業した後、フリーランスカメラマンとして活動を始めた。

 1976年、約1年間かけて撮りためた「謹写・池袋の夜」をワークショップ写真学校の季刊誌『季刊ワークショップ』(第8号)に掲載。女装したゲイ、風俗店で働く女、客といった夜の盛り場でうごめく人々の生態を強烈なストロボ光で照射し、都市の闇に沈んでいる人間の欲望を暴(あば)きだしたこの作品は、ドキュメンタリー写真に新しい領域を切り拓いたものとして高く評価された。その後も引きつづき、被写体やくざ右翼暴走族などへと広げながら池袋の夜を撮影し、1979年に個展「ストリート・フォトランダム・東京1975―1979」(銀座ニコンサロン、東京。木村伊兵衛写真賞)開催。翌1980年には写真集『Flash Up』を刊行し、5年にわたる活動を190点の作品にまとめ発表した。被写体を残酷なまでに冷徹に見据えることで、都市に潜む猥雑なエネルギーを一瞬のうちに浮かび上がらせたイメージ群は、きわめて挑発的で、時に暴力的なまでになまなましく視覚に訴えかけてくるものとなっている。

 都市に対するこうしたアプローチはその後も継続されるが、夜の盛り場に向けられていた倉田の視線はやがて都市の日常へと移っていく。1980年代の東京を中心とした都市のありふれた光景を照射し、その深層に隠蔽されたまがまがしさを抉(えぐ)り出した写真は、1991年(平成3)『80's Family』にまとめられ、翌1992年の日本写真協会年度賞を受賞。1998年には、1970年代からのストリート写真の集大成ともいうべき写真集『ジャパン』を刊行、翌1999年講談社出版文化賞写真賞を受賞した。

 また、1975年以来一貫して日本の都市を見つめてきた倉田は一方で、その視線をアジアにも向けていた。1976年の初めてのアジア旅行以来、フィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマー、香港(ホンコン)、韓国、中国、モンゴルを旅し、喧噪のうちに潜むアジア諸都市の深層を照射。1995年にはほぼ20年にわたる撮影の全貌をまとめ写真集『トランスアジア』を刊行した。

[河野通孝]

『『Flash Up――Street Photo Random Tokyo 1975-1979』(1980・白夜書房)』『『フォト・キャバレー』(1983・白夜書房)』『『大亜細亜』(1990・アイピーシー)』『『80's Family――Street Photo Random Japan '80s』(1991・JICC出版局)』『『トランスアジア』(1995・太田出版)』『『ジャパン』(1998・新潮社)』『『クエスト・フォー・エロス』(1999・新潮社)』

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