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森山大道 もりやまだいどう

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百科事典マイペディアの解説

森山大道【もりやまだいどう】

写真家。大阪府生れ。1959年神戸の岩宮武二スタジオに入門。1961年写真家によるセルフエージェンシー〈VIVO〉への参加を目指して上京するが,同集団解散のため元メンバーの一人細江英公の助手となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

森山大道 もりやま-だいどう

1938- 昭和後期-平成時代の写真家。
昭和13年10月10日生まれ。昭和43年寺山修司との共著「にっぽん劇場写真帖」は,あらい粒子とつよいコントラストによる表現によって,1970年代の写真界におおきな影響をあたえた。同年「PROVOKE」に参加。58年日本写真協会年度賞。平成15年「新宿」で毎日芸術賞。大阪出身。大阪市立第二工芸中退。写真集はほかに「写真よさようなら」「光と影」,「犬の記憶」シリーズ,「ブエノスアイレス」など。名は大道(ひろみち)とも。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

森山大道
もりやまだいどう
(1938― )

写真家。大阪府池田町(現池田市)に生まれる。本名大道(ひろみち)。1955年(昭和30)大阪府第二工芸高等学校図案科を中退、商業デザイナーとしてスタートする。1960年岩宮武二(いわみやたけじ)(1920―1989)のスタジオに入所し、写真の道に進む。そのころウィリアム・クラインの写真集『ニューヨーク』New Yorkに衝撃を受ける。1961年写真のセルフ・エージェンシーVIVOを頼って上京し、細江英公(えいこう)の助手となり、細江の写真集『薔薇刑』(1963)の撮影に立ち会う。VIVOは1961年に解散するが、その後もしばらくVIVOの共同事務所で働き、特に東松照明(とうまつしょうめい)に刺激を受ける。1963年からフリーランスで活動する。1964年中平卓馬(たくま)、詩人寺山修司と出会う。寺山との交流を契機に、一連の大衆芸能シリーズを撮影しはじめ、1967年『カメラ毎日』誌に発表した「にっぽん劇場」などのシリーズによって日本写真批評家協会新人賞を受賞。このころアンディ・ウォーホルの作品に刺激を受ける。翌1968年、新人賞の際の「土着性」という評価をくつがえすため、それまで撮りためたほかの写真とともに「にっぽん劇場」を再構成して写真集『にっぽん劇場写真帖』を出版する。この年11月に中平、評論家多木浩二(1928―2011)、高梨豊、詩人・美術評論家岡田隆彦(1939―1997)によってスタートした同人誌『プロヴォーク』に、12月から参加する。『プロヴォーク』は「思想のための挑発的資料」という副題のとおり、従来の写真表現を否定するラディカルな方向性を打ちだし、1970年共著『まず、たしからしさの世界をすてろ』の出版を最後に解散となる。
 1968年ジャック・ケロアックの『路上』On the Roadに触発され、国道を疾走する車のなかから獲物を狙撃するようにシャッターを切り、「東京環状・国道16号線〈オン・ザ・ロード〉」などを発表する。1969年『アサヒカメラ』誌に連載した「アクシデント」のシリーズでは、事故、公害、スキャンダルなど同時代を浮き彫りにする映像を、実写とポスターやテレビからの複写も差異化せずに提示し「写真とは何か」という問いを先鋭につきつけた。その後、降り立った見知らぬ街で遭遇した一瞬を写し撮った連載「何かへの旅」(1971、『アサヒカメラ』誌)などを発表。これらの作品では「アレ、ブレ、ボケ」と称される荒々しい映像を提示した。この時期の作品を中心にまとめた写真集『狩人』が1972年出版された。1960年代末から1970年代初頭のこれらの写真群は、以後の日本における写真表現を塗り替えるほどの圧倒的な影響力をもった。
 1974年4月東松照明のかけ声で、森山、荒木経惟(のぶよし)、細江、深瀬昌久(まさひさ)、横須賀功光(のりあき)(1937―2003)が集まり、「ワークショップ写真学校」を開講した。1976年3月同校解散後、森山は6月にフォト・ギャラリー「イメージショップCAMP」を東京・新宿に創設、1977~1978年「森山大道教室」を同ギャラリーで開講した。
 個展としては1974年10月初個展「遠野物語」(銀座ニコンサロン、東京)、1977年「東京・網目の世界」(銀座ニコンサロン、東京)などを開催している。また1980年オーストリア、グラーツを皮切りとする個展がヨーロッパを巡回した。
 その後、心身とも憔悴しきってまったく写真が撮れない状態まで追い込まれた森山だったが、フランスの写真術発明者ニエプスの写した現存する世界最古の写真を追想しながら、1981年「光と影」のシリーズを生み出した。このシリーズを収めた写真集『光と影』(1982)は、続く『犬の記憶』(1984)、『仲治(なかじ)への旅』(1987)、『サン・ルウへの手紙』(1990)を含め、「写真は光の化石である」という持論に基づく森山の新たなる展開を示している。1983年には日本写真協会年度賞を受賞した。
 1991年(平成3)にファッション・ブランド、ヒステリックグラマーから依頼を受け、『Daido hysteric no.4』(1993)、『Daido hysteric no.6』(1994)、『Daido hysteric no.8』(1997)の3冊の大部の写真集を刊行、その迫力ある映像が新たに話題となる。また1999年サンフランシスコ近代美術館をはじめ、アメリカ、ヨーロッパで回顧展が開催され、さらに評価が高まる。2003年島根県立美術館を皮切りに大規模な展覧会が開催される。[蔦谷典子]
『森山大道写真、寺山修司文『にっぽん劇場写真帖』(1968・室町書店) ▽天野道映ほか著、多木浩二・中平卓馬編『まず、たしからしさの世界をすてろ』(1970・田畑書店) ▽『狩人』(1972・中央公論社) ▽『光と影』(1982・冬樹社) ▽『犬の記憶』(1984・朝日新聞社) ▽『仲治への旅』(1987・蒼穹社) ▽『サン・ルウへの手紙』(1990・河出書房新社) ▽『Daido hysteric no.4』(1993・ヒステリックグラマー) ▽『Daido hysteric no.6』(1994・ヒステリックグラマー) ▽『Daido hysteric no.8』(1997・ヒステリックグラマー)』

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